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#自宅でも考古博 7「古代船のささ舟づくり」

 当館の展示室の真ん中に、ドドーンと置いてあるのは、古墳時代の準構造船を再現したものです。
古墳時代の準構造船(復原)

 一番の基礎となっているのは船底部で、一木をくり抜いた丸木舟になっています。その上に舷側板や竪板(たていた)を継ぎ足して船を深くしています。
 丸木舟と構造船(すべて板でできた船)との過渡期ということで、準構造船と呼んでいます。
準構造船の部分名称

 このような上下二段構造になっている準構造船をささ舟にしてみました。

 <準備品>台紙・はさみ・のり


(1)古代船ささ舟の台紙をA4サイズで印刷します
(上の図をクリックしてください。pdfファイルが開きます。)

(2)全部で5つ分あるので、そのうちの一つを切り取ります。

(3)両端を折り曲げます。

(4)裏返し、線に沿って切り込みを入れます。

(5)黒く塗られた部分を切り取ります。
 はさみを使うのは以上です。

(6)中央の2カ所に折り目をつけます。

(7)真ん中を軽く曲げます。

 (8)①と印刷されている部分同士を重ねます。
 その時、①の片側に少しのりを付けて、反対側①の中を通すようにします。
 左右対称になるように、直角に交わらせるのが、きれいにつくるポイントです。

 (9)こんな感じです。

 (10)同じように②と印刷されている部分も重ねます。

 
(11)こんな感じです。

 (12)反対側も①どうし、②どうし、重ねれば、完成です
   
(13)延期中の春季特別展のチラシを背景にしてみました。

  いかがでしたでしょうか?
 うまく、できましたか?

 台紙を色紙にしたり、舟に模様や色をつけたり、アレンジもできます。

 昔、本物の笹を使ってささ舟を作ったことのある人にとっては、なじみのある方法ではないでしょうか。
 それを古墳時代の準構造船に合わせて、上下2段にしたところが、この「古代船ささ舟」のミソです。

(学芸課 中村 弘)

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