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7月 31, 2022の投稿を表示しています

令和4年度 発掘調査速報会報告

開催中の夏季企画展「ひょうご発掘調査速報2022-五国の逸品-」に関連して、発掘調査速報会が開催されました。 発掘調査を行っている公益財団法人兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部と考古博物館の共催です。 令和3年度に兵庫県内で実施した、中村群集墳(神戸市西区)、玉津田中遺跡(神戸市西区)、住吉川右岸遺跡(丹波篠山市)の発掘調査の成果報告です。 熱心な考古学ファンの皆さんで会場はいっぱいです。暑い中ありがとうございます。 最初に、まちづくり技術センターの廣田常務理事が挨拶されました。まちづくり技術センターの業務について、また、社会基盤整備に基づく埋蔵文化財調査の意義について話してくださいました。 調査成果報告のトップバッターは、埋蔵文化財調査部調査第2課の稲本悠一さんです。担当の中村群集墳について報告してくださいました。 中村群集墳は、第二神明道路の建設に先立ち、昭和43年(1968年)に2基の古墳の発掘調査が行われ、古墳時代後期(約1,500年前)の群集墳として知られていました。 令和2年度の調査では、弥生時代後期、古墳時代前期、古墳時代後期の3時期の墳墓が見つかり、令和3年度の調査では、弥生時代終末期から古墳時代初頭の墳墓、溝、集石遺構などが見つかりました。 また、埋葬施設は「礫槨(れきかく)」と呼ばれる兵庫県内では類例のない、土ではなく大量の礫で埋められているもので、とても珍しく貴重な発見となったそうです。 続いて、調査第2課の鈴木郁哉さんから玉津田中遺跡の報告です。 玉津田中遺跡は、先ほどの中村群集墳のすぐ東にあり、縄文時代から古墳時代後期を経てさらに中世に至る集落遺跡で、弥生時代には明石川本流域における最大の拠点集落として発達したとのこと。 No.175地点では、中世の水田遺構と溝で囲まれた屋敷地が見つかり、1kmほど北東にあるNo.164地点では、古代から中世にかけて同じ場所で集落が営まれていたことが分かったそうです。掘立柱建物の詳しい位置や想像される建物についても解説がありました。 最後は、同じく調査第2課の園原悠斗さんから丹波篠山市にある住吉川右岸遺跡についての報告です。 成果として、弥生時代後期の溝と弥生土器、古墳時代中期の竪穴建物と旧河道、奈良時代の掘立柱建物、焼土杭、土坑、柱穴、平安時代の溝に囲まれた掘立柱建物、溝、土坑、柱穴、鎌倉時代の

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