スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

3月 10, 2013の投稿を表示しています

春の足音が聞こえてきたぞ!! 考古博であそぼう4 石のキリで穴をあけよう!

考古博であそぼうイベント案内3  今日紹介する古代のワザは…  石のキリです。穴をあける道具として一般的なものと言えば錐(キリ)です。  考古博物館では毎日、午前10時から12時(受付は30分前)まで、午後1時から3時まで古代体験として勾玉づくりができますが、その穴をあける道具もキリです。  「キリだったら知っている…」というあなた、考古博であそぼうの石のキリで穴をあけように挑戦してください。  やり方はとても簡単。小さなお子さんでもチャレンジできます。 木の先に石を固定し、キリにしています   さて、石のキリで板に穴をあけることができるでしょうか?  結果は…  3月16日(土)、3月17日(日)の「考古博であそぼう」で確認してください。  体験できる時間は12時30分スタートで午後3時30分までです。  一部のイベントは午後3時までですのでご注意ください。  みなさんの参加をお待ちしております。

考古博劇場vol.2 『BKB卒業ライブ 2013』で笑顔が満開!!

桜よりも一足先に子どもたちのキラキラ笑顔が満開となりました! 考古博劇場vol.2『BKB卒業ライブ2013』が大盛況のうちに終わりました。BKB とは「別府西( B efunishi)金管( K inkan)バンド( B and)」 の頭文字をとって「BKB」です。 今年はとびっきり元気な女子48人とイケメン男子3人のBKBwith少年隊が元気に演奏をしてくれました。6年生はこのライブを最後にBKBを卒業してしまいます。 ダンス大好きな6年生。キラキラの笑顔が会場に咲き誇りました。 会場は見てのとおり観客でいっぱいです だんだん調子が出てきたぞ!!                       どうだ!! タイガーマスクも友情出演?  もちろん先生もノリノリです 演奏は真剣そのもの 素晴らしい!! ダンスの意気はピッタリ!! 少年隊も輝いています 卒業おめでとう!!  今日はありがとう。 BKB48with少年隊の皆さん。今日は演奏ありがとうございました。いつまでも音楽で自分や友達をを元気づけ、周囲の人に幸せを感じさせる人でいてください。 皆さんのこれからに心を込めてエールを贈ります。 今日はキラキラの笑顔をありがとう。

東日本大震災から2年

今日は閉館日ですが、2011年3月11日の東日本大震災から2年となります。 もうそんなに時間がたったのかという感じです。 国旗、県旗、博物館旗も半旗となってます。 閉館日のこの日、芝生に砂を入れました。 2トン車1台分の山砂です。 昨年12月に入れて以来、2回目です。  隣の大中遺跡公園の野芝はだいぶ生えてきました。 色濃くなっています。   14時46分、博物館を散歩しておられるみなさんと黙祷を捧げました。 芝が元気に生えてくることを願いながら、3時間ちょっとで、芝全体に撒くことができました。 暖かくなって、また、除草の季節がやってきます。

三田城跡 兵庫県立有馬高等学校 企画展 ひょうごの遺跡Vol.5から

三田城跡は兵庫県の南東部、三田盆地に位置する三田市にあります。 このあたりは、鎌倉、室町時代にかけて集落の再編が進み、南北朝の終わり頃には国人有馬氏が台頭してきます。 盆地内の低地部や丘陵上には中世城館があり、国人有馬氏の城ではないかと考えられていますが、実態はつかめていません。 三田城も南北朝時代に赤松円心の四男氏範が基礎を築き、有馬氏祖の義祐が修築したとされる説や五代有馬則景の時に築かれたとする説があるなど明らかではありません。 三田城が城として整備された時期が判明しているのは、天正年間に荒木氏が三田の支配を始め、荒木平太夫が城主となった時です。 荒木氏が織田信長に背くと天正六年に織田軍に攻められ落城。 その後、池田氏、三好氏の支配を経て、天正十年(1582)から山崎氏二代の支配を受けました。 この時、三田城は瓦葺の織豊系城郭として整備されました。 関ヶ原の戦いにおいて西軍についた山崎氏は因幡若桜に転封され、東軍だった有馬則頼が入封しますが、この支配も短期間に終わり、その後20年以上も福知山城主有馬豊氏の預かり領となり三田城は荒廃が進みました。 寛永三年(1626)に有馬豊氏が筑前久留米に移封となると、松平重直が出羽国より入封しますが、寛永十年(1633)には豊前国へ移封となり、同じ年に九鬼氏が三田に入封し三万六千石を治めました。 九鬼氏は、従来の三田城を廃して古城とし、城域の南部と西部を三田陣屋として整備し、その後、明治四年(1871)まで、九鬼氏十三代が三田藩主として有馬郡を支配しました。 兵庫県立有馬高等学校は、敷地全体に三田城跡及び古城遺跡があります。 今回の調査は、講義棟新築事業に伴うものです。 いままで三田城跡ではあまり知られていなかった16世紀後半代の土塁が見つかりました。 その時期の城主は有馬氏8代村秀より10代国秀に当たり、城が有馬氏の本城として体裁を整えた時期と考えられています。 土塁の盛り土からは、15世紀の代の土師器鍋、丹波焼甕、輸入陶磁器などが出土し、今回見つかったものよりも、さらに古い土塁の存在を窺わせています。 学校の中という、いつもとは違う環境で調査することは新鮮な体験でした。 見学にやってくる高校生向けに、調査内容を解説した看板を取り付けたり、生徒対象の説明会も開き、2クラス7

東古佐遺跡 企画展 ひょうごの遺跡 Vol.5から

東古佐(ひがしこさ)遺跡は篠山市の旧丹南町にある篠山川南岸段丘上にある集落遺跡で、堀立柱建物や溝、墓、井戸などが見つかっています。 遺跡は篠山川の河床から10m前後も高い位置にあり、井戸は11基も見つかっており、水の確保に苦労した段丘上の集落の水源として長く維持されてきたことを物語っています。 出土遺物も豊富で、土師器(はじき)、瓦器(がき)、黒色土器、須恵器(すえき),丹波焼,、青磁,白磁などの各種土器・陶磁器の他、曲物(まげもの)、下駄(げた)、漆椀(うるしわん)などの木製品、石鍋などの石製品などが多量に出土しています。    

七日市遺跡 企画展 ひょうごの遺跡Vol.5から

七日市遺跡は昭和55年以降、周辺のほ場整備事業や近畿自動車道舞鶴線(現舞鶴若狭自動車道)建設、北近畿豊岡自動車道建設などに伴って広範囲の発掘調査が行われました。 その結果、県下でも有数の規模を持つ旧石器時代・弥生時代~平安時代の遺跡であることが判明しています。 今回の調査は、道の駅関連事業の一つ、国道175号線の拡幅工事に伴うもので、七日市遺跡の中では北寄りに位置しています。 西日本を代表する旧石器時代の遺跡であり、わずかな範囲の調査でしたが、石器を作る際に生じた石片が散らばった石器ブロックが見つかりました。 原石となるチャートの河原石も2点あります。 遺跡の東を流れる竹田川の河床から持ち込まれたものでしょう。 旧石器出土 旧石器出土 弥生土器 弥生時代の遺物 弥生時代の遺物

過去の記事一覧

もっと見る