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6月 19, 2022の投稿を表示しています

春季特別展記念シンポジウム報告

6月4日、大中遺跡発見60周年記念春季特別展の記念シンポジウム「大中遺跡とその時代-東播磨沿岸部の弥生集落-」が開催されました。 今回のシンポジウムは、東播磨沿岸部に点在する弥生時代後期の集落と大中遺跡を比較することで、大中遺跡がどのような環境に置かれていた集落だったかを探るというのがテーマです。 会場は満員の盛況でした。今回は定員72名に対して179名の応募をいただきました。 事前報告は、特別展の主担当、藤原怜史学芸員が「大中遺跡の集落像」と題して発表しました。 大中遺跡の発見から国史跡に指定されるまでの経緯に始まり、竪穴住居跡の時期による特徴の変遷、出土品の特徴、弥生時代の鏡や鉄器の事情、竪穴住居跡に残っていたベンガラ等について報告がありました。また、海が生活圏にある集落であることや竪穴住居跡の分布や特徴的な遺物などから、大中遺跡における集落内でのグルーピングの試案などの解説がありました。 続いて報告1として、「明石川流域の弥生集落」と題して、神戸市文化スポーツ局の池田毅氏から発表がありました。 最初に明石川流域の集落遺跡の動向として、弥生時代中期から古墳時代初頭と経過していく中で、集落の形成された位置や規模の変化について説明していただきました。 次に明石川流域の集落の特色として、小形仿製鏡・破鏡、鉄製品、外来系の土器の出土状況と、大中遺跡同様、竪穴建物が円形主流から方形主流へ変化したことや、北部九州に見られる室岡型住居が確認されていることなどを解説してくださいました。 続いて報告2では、「加古川流域の弥生集落-下流域左岸を中心として-」と題して、加古川市教育委員会の山中リュウ氏から発表がありました。 最初に、大中遺跡前夜(弥生時代中期後半)、大中遺跡併行期、大中遺跡以後(古墳時代初頭)とそれぞれの時代の加古川下流域3大遺跡(溝之口遺跡、美乃利遺跡、坂元遺跡)を中心に、集落の規模や位置、出土品等について説明していただきました。 また、加古川中流域から見た大中遺跡は、溝之口遺跡や坂元遺跡を引き継いだのが大中遺跡なのか、大中遺跡隆盛期には加古川下流域の集落は大中遺跡の衛星的なムラとして機能していたのか、大中遺跡後に成立した古墳の母体集落はどこなのか等について解説してくださいました。 休憩後の記念講演では、橿原考古学研究所共同研究員の森岡秀人氏から 「弥生時代後期から

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