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7月 26, 2020の投稿を表示しています

地元テレビ局の取材

考古博物館で地元テレビ局の取材がありました。 番組のコーナーで博物館の紹介をしてくださいます。 その撮影の様子をご紹介します。 元陸上オリンピック選手、兵庫県出身の小林祐梨子さんがリポーターです。 最初に当館の “いつでもできる古代体験” で好評のまが玉づくりに挑戦です。 当館職員の指導のもと、まが玉を砥石で削っているところです。 「結構きれいにできてますよね?」小林さんの明るい声が響きます。 楽しんでいただけましたでしょうか。 続いて当館の企画広報課長が館の説明をします。 小林さんの質問にテキパキ答えます。 当館で人気の「発掘ひろば」の紹介です。 特別展示室です。 開催中の企画展の内容について簡単に説明します。 屋外でも撮影しました。 東播磨の観光スポットが掲載されたパンフレットを紹介しています。 館内に戻って、常設展示コーナーの紹介です。 「ナウマンゾウは迫力ですね」と、角度を変えて撮影していました。 最後に、もう一度特別展示室で、ただいま開催中の企画展「金銀銅の考古学」を詳しく撮影して終了しました。  サンテレビの「ひょうご発信!」という番組の “教えて! ひょうご” のコーナーで、『兵庫魅力発見の旅 ~東播磨~』と題して、東播磨3市2町が取り上げられます。10分ほどのコーナーで、当館は播磨町の施設として2~3分紹介されるようです。  今回の撮影が、どのように編集されているか、非常に興味のあるところです。  番組の放送予定日は8月9日(日)8時30分~9時、再放送が8月10日(月)8時~8時30分です。ぜひご覧ください。     *  *  *  *  *  ようやく梅雨も明け、これから暑くなりますので、涼しい考古博物館にぜひお越しください。お待ちしております。  企画展「金銀銅の考古学」は、8月30日(日) までですのでお見逃しのないように!    ご来館に際しましては、マスクの着用や検温、ソーシャルディスタンス等、新型コロナウイルス感染予防にご協力をいただきますようよろしくお願いいたします。

#自宅でも考古博 32 「発掘こぼれ話6 兵庫県三ツ塚廃寺の発掘」

  1972(昭和47)年、大学院1回生になって、初めて調査員として参加したのが丹波市市島町の三ツ塚廃寺(遺跡)という白鳳時代(7世紀後葉)の寺跡だった。  春先に、西宮市にある甲陽中・高校の高井悌三郎先生が小林行雄先生を訪ねて来られていたのは知っていたが、そこで話が決まったのか、夏の発掘には三ツ塚に行くことになった。おまけと言っては何だが、その学年の後期の半年間、甲陽中学校で地理の非常勤講師をすることも決まった。   神戸新聞の壇上重光 さんと  調査団長は高井先生で、現場監督は京都大学考古学研究会の創設者の一人である橋本久さん(大阪経済法科大)。主力は神戸大学考古学研究会のメンバーだった。宿舎は遺跡近くにあった済納寺保育園の板敷きの大部屋。  調査員ということで、高井先生と橋本さんの指導を受けながら、かなり自由に掘らせてもらえ、たいへん勉強になった。しばらく辰馬考古資料館にいた大学の同級生の中田興吉さん(大阪学院大学)がいてくれたことも大きな助けになった。    男子は大部屋で雑魚寝だったので、夜は大騒ぎ。ビール大ビン1本がちょうど入る丼茶碗でがぶ飲みする猛者が何人もいた。飲んでいる最中に雨が降りだすと、そのまま全員現場に駆けつけシートを掛けてまわった。帰る前に毎日掛けておけば良かったのに。酔っぱらってトレンチに落ちたのもいた。  朝夕の食事はどこかの給食センターのものだったが、フライものが多く、1週間もすればイヤになった。ただ、カレーが出た時だけは大人気で競争になり、1杯目はかまずに流しこむものも現れた。   印象に残っているのは味噌汁。旨い不味いの問題ではなく、時々異物が入っていたのだ。最初は短い紐などだったが、針金になり、最後は金の差し歯になった。ああー。それが当たった学生は二度と味噌汁を飲まなくなった。と言うことは、他のものは飲みつづけていたということだ。    夏休みが終わり、学生が引きあげると、泊まるのは、ほとんど橋本・中田・和田の3人になった。午前2時、3時とトランプに興じ、それでも朝は7時起床。私は11月に結婚することが決まっていて京都にアパートを借りていたので、1週間で市島町の現場、京都のアパート、西宮の甲陽中学を三角まわりした。  アパートには妻になる予定の人がすでに入っていたが、初めて帰った時、2間し

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