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兵庫考古学研究最前線2019 「古墳と中世墓」

2月初めに、シリーズ講演会・兵庫考古学研究最前線2019 「古墳と中世墓」を開催しました。 豊岡市の竹貫古墳群での発掘調査成果をもとにした内容です。 講師は発掘調査を担当した (公財) 兵庫県まちづくり技術センターの 藤原 怜史 技術職員です。 竹貫古墳群は、北近畿自動車道の建設事業に伴って調査した遺跡で、 平成30年に発掘調査が行われました。 調査では古墳と中世墓が2基ずつ見つかりました。 古墳は直径約11mの円墳と一辺約10mの方墳で、出土した土器などから 2基ともに古墳時代中期(5世紀後半)のものと考えられます。 中世墓は、鎌倉時代後期(13世紀後半)~南北朝時代(14世紀)に造られ、 複数の人が埋葬されていました。家族や一族の墓と考えられています。 中世墓は石が多く使われていて、調査にとても手間がかかったとのこと。 通常は①覆った土を取りのぞき、②写真を撮り、③図面を描き、 ④石を外して構造を確かめますが、 石に文字や絵があるかも知れないため、一つ一つ、 スポンジで洗いながら確認していきました。 ちなみに竹貫中世墓2号墳では、石の図面を描くだけでも5日を要したそうです。 中世墓の見つかった尾根の上方には、古墳が2基つくられていました。 埋葬施設は、石を積み上げて棺をおさめる竪穴式石室と、木棺を直接埋める2つの種類がありました。 前方後円墳などの大型古墳は、死後の世界へ送る儀礼(おまつり)の場で、 政治的モニュメントの意味もあったとされます。 今から1400年前の 古墳時代後期ごろからは、 民衆の一部も自分たちの墓を作り始めるようになります。 さらに時代が下ると、仏教の影響が墓にあらわれるようになります。 特に極楽浄土に往生することで成仏をとげる浄土思想の影響から、 住まい(俗)と少し離れた、景色の良いところ(浄土)に 墓が作られるようにもなります。 また墓地の形状や埋葬方法から、当時の人が抱いた死後の世界や 生活スタイルの変化が読みとれるとのこと。 考古資料に加えて餓鬼草紙や和歌などの例から、 仏教伝来とともに火葬が行われるようになる一方で、 直接埋葬したころの意識も根強くうけつ

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