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5月 17, 2020の投稿を表示しています

#自宅でも考古博 21「バックヤードへようこそ!」

 当館内の図書室「考古学情報プラザ」の前にあるらせん階段を下り、地下1階に行くと、「バックヤード見学デッキ」や、「収蔵展示」の戸棚の奥にある窓から、地下2階にある博物館のバックヤードをのぞき見ることができます。 「考古学情報プラザ」前の地下へ降りるところ 「バックヤード見学デッキ」 収蔵展示とその左奥の収蔵庫  さて、「バックヤード」って何でしょう?  英語の辞書(デジタル大辞泉)をひいてみると 1 裏庭 2 背景、バックグラウンド 3 店舗内で、売り場ではない場所。倉庫や作業場、調理場など。 とありますが、ここでは、3の意味です(店舗ではないですが)。  当館のバックヤードには、たくさんの出土品が詰まった収蔵庫や、出土品の復元・実測といった整理作業をするスペースが広がっているのです。 収蔵庫 出土品の作業がのぞけるデッキ  当館の地下2階では、 ①出土品の土の洗い流し(洗浄) ②破片を並べて組み合わせ(接合) ③もとの形にもどす(復元) ③細かく観察して図面を書く(実測) ④写真の撮影(写真撮影) ⑤そのままでは形を保てない金属器や木製品の保存処理 といった、地道な作業を積み重ね、 ⑥原稿執筆、編集作業 を経て、遺跡ごとに「報告書」という形で発掘調査の成果を公開します。 そして、 ⑦きちんとした台帳づくり ⑧収蔵庫に収納 までの作業を行っています。  発掘では莫大な量の土器や石器、金属器、木製品が出土しますが、常設展示や収蔵展示に並んでいるのはほんの一部。それ以外は、氷山の海に沈んでいる部分のように大量の資料がバックヤードに控えていて、特別展や企画展で皆さんに見てもらえる機会を待っています。  また、発掘当初は何だかよくわからなかった小さな破片が、その後の研究の進展によって、貴重な資料の一部であることがわかったり、たくさんの資料と比較検討することによって、地域の歴史や人々の暮らしの一面を明らかにする手がかりとなったりもします。 「Staff Only」の向こう側・・・  こうした博物館の裏側は、収蔵展示の奥の扉に書かれているようにいつもは「Staff Only」(関係者以外入れません)ですが、この扉を開けて特別に見学できる機会

#自宅でも考古博 20「利き手と、絵の向き」

 以前、「自宅でも考古博11」で、土器や石庖丁から弥生人の右利き、左利きについて考えました。今回は絵について考えます。  考古学者の故・佐原真さんは、右利きの人が絵を描くと、動物や船などの絵は左側を向いたり、左側に進む絵になる、といいました。 サケ、シカ、シュモクザメの描かれた板、弥生時代 (豊岡市袴狭(はかざ)遺跡) テーマ展示室の「交流」の部屋では、船が描かれた古墳時代の板が展示されています。舳先(へさき:船の前方)が二股になる準構造船が描かれており、やや斜め前から見ると後ろの二股が見えなくなることから、左側が舳先であると推測されます。 船団の描かれた板、古墳時代 (豊岡市袴狭遺跡) 復原された準構造船を斜め前から見た様子  ところが、昨秋の特別展「埴輪の世界」で紹介した東殿塚古墳(奈良県天理市)の円筒埴輪に描かれた船は、鳥の向きや旗のたなびく方向から舳先は右側であると考えられます。 埴輪に描かれた船(東殿塚古墳/奈良県天理市) 九州の装飾古墳にも、舳先に止まった鳥が右側を向いているものがよく見られます。  日常を表現した絵は左側を向くことが多いのですが、古墳に関係するものに描かれた絵は、通常とはあえて反対側に向けて描かれていて、 「えっ?そっちの方向??」 と、違和感を感じさせるような意図が読み取れます。  あえて右向きに進むように描かれた船は、死者の魂を乗せてあの世に向かっているのかもしれませんね。 (学芸課 上田健太郎)

#自宅でも考古博 19「展示が変わる時」

(改修前巫女写真+現在の巫女写真) この2枚の写真を比べてみてください。テーマ展示室2の同じフィギュア(巫女)を写したものですが、どこが違うかわかりますか? 左は銅鐸を持っていますが、右では何も持っていませんね。左は巫女が銅鐸をまさに埋納しようとしている姿を表現し、左は銅鐸が巫女の手から離れて、打ち鳴らされる状態になった姿を現しています。今日はどうしてこうなったかについて、お話したいと思います。 当館で採用しているフィギュアなどを用いた展示は、来館者にイメージを伝えやすい反面、一度作ってしまうとなかなか変更が難しいところがあります。 しかし、考古学の世界では、新たな資料の発見により、これまでの解釈が大きく変わってしまい、展示についても再検討する必要が生じるケースがあります。 巫女のフィギュアから銅鐸が消えたのは、まさにそのケースで、平成27年に南あわじ市で発見された松帆銅鐸が深く関連しています。 松帆銅鐸は舌と呼ばれる金属棒が銅鐸内部に入った状態で埋められており、舌上部の穴及び銅鐸の鈕(釣り手)の部分に植物繊維やその痕跡が残存していました。また、銅鐸内面と舌の双方に衝撃によると考えられる凹みも見つかりました。 つまり、銅鐸は吊り下げられた舌が銅鐸内面にぶつかることで、音を出していることが明らかになったのです。これまでも銅鐸は鳴らすものと想定されていましたが、金属舌を伴う例は数少なく、紐状の繊維が見つかったのも初めての事でした。 この成果をもとに、当館では銅鐸の埋納状況を表す展示から、銅鐸の使用状況に重点を置いた展示、つまり紐で固定された銅鐸を打ち鳴らすことのできる展示に変更したのです。 (銅鐸の音:動画 約15秒) 実際に鳴らしていただくと分かりますが、銅鐸の音は「妙なる調べ」とはいうより「騒音」ではなかったかと思われますが、弥生時代の人々にとってはその音の大きさこそが必要とされていたのかもしれません。 (埋蔵文化財課 鐵 英記)

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