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6月 14, 2020の投稿を表示しています

#自宅でも考古博 27 「古代のインデックス」

 考古学では、出土遺物のうち、木に文字を書いたものを木簡と呼んでいます。紙やデジタルデータに囲まれている私たちにはピンとこないところがあるのですが、古代の人たちにとって、木簡は、材料が入手しやすい、表面を削ることで再利用ができるという利点があり、行政文書・荷札等、様々な用途に使われていました。また、文書用の木簡が不要になると、加工して別の用途に再利用することもありました。  用途・形態とも多岐にわたる木簡ですが、この焼き鳥の串みたいなものは何だと思いますか?古代但馬国気多郡に位置する深田遺跡(豊岡市)から出土したもので、平たい頭部に細長い軸が付いており、頭部の両面には文字が記されています。 深田遺跡の題籖軸  これは題籖軸(だいせんじく)という木簡。使い方は、軸の部分に紙の文書を巻き付けて保管するためのものです。紙の文書は書かれた面を内側にして巻き付けられますから、そのままでは中身が判りません。文書を開かなくてもすむように、頭部に文書の内容をメモするのです。今の付箋やインデックスと同じで、書類整理の基本は千数百年前からあまり変わっていないようです。  では、これらの軸に巻いてあったものはどのような文書だったのでしょう。もう一度、頭部をよく見てみましょう。若干の違いがあるのですが、表に文書の内容、裏面に年号を書いています。  一番右側のものを例にとると、「造寺米残」、「弘仁三年」(812年)とあります。造寺米とは寺の造営に支出したコメの事で、弘仁三年の残量を記した文書ということになります。寺の名前は書いてありませんが、おそらく但馬国分寺か国分尼寺の造営に使われたものでしょう。  他の題籖軸にも「官稲」・「田租」・「租未進」、「大同五年」(810年)・「弘仁四年」(813年)と見え、どうも9世紀初め(平安時代)の税金に関わる文書類を整理したもののようです。  深田遺跡からはこれ以外にも土地や稲に関わる木簡類や墨書土器が出土し、その中には他郡の名称を記すものがあることから、但馬国全体の文書行政をつかさどる役所-但馬国府-の有力な比定地となっています。   ※なお、今回紹介した題籖軸は常設展では展示しておりません。 (埋蔵文化財課  鐵  英 記)

田植えを行いました

前日の雨があがり、曇り空の田植え日和。 博物館に隣接する田んぼで恒例の「田植え」を行いました。 昨年は地元の蓮池小学校のみなさんに植え付けてもらいましたが、 新型コロナウイルス感染防止のため、 今年は子どもたちの参加はありません。 当館職員とボランティアグループ「考古楽倶楽部」のメンバー、 そして蓮池小学校の 先生方にご参加いただき植えていきます。 植える苗は、対馬赤米、壱岐黒米、 ヒノヒカリ、ハリマモチ、種子島赤米の5種類です。 2班に分かれて植え付けと苗渡しを交代で行いながら手植えします。 一人4ケ所から5ケ所に植え付けますが、 なるべく足は動かさずに上半身を左右に動かすのが早く植えるコツです。 足跡をならして植える場所をフラットにしながら後ろ向きに進みます。 苗渡しはタイミングが重要。 息のあったチームプレーでテンポよく作業が進みます。 途中雨がぽつりぽつりと降ってきましたが、 奈良からかけつけた和田晴吾館長のおかげ?か、終盤には晴れ間も見え、 なんとか植え終わりました。 例年子どもたちなら2時間以上かかるのですが、 大人がやると約1時間で終了しました。 しかし、にぎやかな声が聞こえない田植えは寂しいものでした。 収穫は10月中旬ごろ。 稲刈りには子どもたちが参加できることを祈りつつ、 これから4ケ月あまり、成長を見守ります。

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