スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

2020の投稿を表示しています

年末メンテナンス休館中のおしごと

12月24日から1月1日まで、考古博はメンテナンスのため休館しています。 ご家庭で言う年末の大掃除とお正月の準備です。その様子をご報告します。 特別展示室では展示台をすべてケースから出して乾燥させます。 温湿度計を密閉されたケースに入れて、誤差がないかどうか確認します。 遺物に適した環境を保つための大事な作業です。 発掘ひろばでは、竪穴住居の展示にたまった細かなほこりをブラシと掃除機で丁寧に吸い取ります。 みんながさわる発掘道具も念入りに汚れを落とします。 展示しているバックホーも隅々まで掃除します。これに座るのが楽しみな子どもたちが多いんです。 展示ケースの中の調湿剤を取り換えます。 展示する資料によって使う調湿剤や、設定する湿度が違います。 ケースの扉を開けて、細かな資料を刷毛で掃除しています。 今年は展示室のなかでWi-Fiが使えるように工事も行いました。 メインホールでは新年の干支にちなんだ展示を準備しました。 なにかは見てのお楽しみ。 玄関には門松を飾りました。 遺跡公園では梅の花もほころびはじめました。 新年は1月2日から開館します。 来年も考古博物館をよろしくお願いします。

今年最後の週末イベント -講演会と古代体験とクリスマスコンサート-

 令和2年も残すところあとわずかとなりました。今年最後の週末イベントをご報告します。 12月19日、兵庫考古学研究最前線第5弾、当館 和田晴吾館長による講演会です。 テーマは「高句麗の積石塚(中国・集安地域)」。 会場はコロナウイルス感染防止対策を取って、定員は72人にしています。 館長が2004年9月に高句麗に行った時の写真を中心に説明がありました。 これは高句麗前期の五女山城という山城です。海抜約82m、平坦部が300mもある独立丘陵です。 いろんな石積みが紹介されました。 兵庫考古学研究最前線第6弾は、引き続き館長の講演で、1月16日に 「高句麗の壁画古墳(北朝鮮地域)」と題して開催されます。 事前予約が必要で、1月1日締め切りです。 興味のある方は、当館HPをご覧いただいてお申し込みください。 館長の講演会と同じ日に、週末の古代体験も実施されました。 「銅鐸石けんをつくろう!」です。 銅鐸の深緑色になるように、石鹸液に色をつけます。 シリコンの型に流し込みます。 型からこぼれたり、はみ出した部分を削って形を整えます。 15分ほど置いて、型からはずすと石鹸のできあがりです。 グミのようにプニョプニョしているかと思ったのですが、意外と硬かったです。 翌12月20日(日)には、毎年恒例の高校生によるクリスマスコンサートが開催されました。 出演は、加古川西高校・加古川東高校・東播磨高校・加古川南高校・明石西高校の皆さん。 客席と距離をとり、観覧者を制限したため、例年よりも寂しいコンサートになりましたが、マスク着用とは思えない美しいハーモニーがホールに響きました。 来年は、マスクなしの歌声をたくさんのひとに聴いていただけるようになることを祈るばかりです。

現地説明会レポート「現れた江戸時代の町並みー兵庫津遺跡(神戸市兵庫区)」

 兵庫県教育委員会からの委託で、(公財)兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部が発掘調査を実施している兵庫津遺跡で、11月14日(日)に現地説明会が実施されました。  今回の調査では、江戸時代の町の一部が見つかっています。兵庫津については絵図がいくつか残されており、見つかった町並みは「新在家町水帳絵図」(1836年)に描かれたものに概ね一致しています。 (東西方向の街路) (南北方向の街路)    町並みは大きく、東西方向と南北方向に走る街路によって区画されており、今回の調査でこれらの街路が江戸時代から明治時代まで踏襲されていたことが判りました。 (火災に遭った町屋)    町家は細長く区画され、建て替え・補修が何度も行われた結果、何層にも重なっています。赤く焼けた区画も見つかっており、火災に遭った痕跡と考えられます。 (本陣と考えられる区画) (出土した輸入磁器)    調査区の南側には大きな区画がひとつ認められます。輸入磁器や茶臼が出土するなど町家とは遺物の内容が異なります。絵図では空白になっていたのですが、文献史料にも当たった結果、「本陣」が置かれていた部分に当たると考えられます。兵庫津は江戸時代を通して栄えた港町であるため、西国諸藩や朝鮮通信使などが利用する格式が高い宿泊施設が置かれていたのでしょう。 (発掘作業の様子)    なお、今回の調査地点とその隣接地には、初代県庁を復元した「初代県庁館(仮称)」、兵庫県の歴史・文化・産業を紹介・展示する「ひょうごはじまり館(仮称)」がそれぞれ令和3年度と令和4年度にオープンする予定です。詳しくは 兵庫津ミュージアム整備室のページ をご覧ください。

竪穴住居復元用のヨシを刈りました

播磨大中古代の村(史跡大中遺跡)に竪穴住居を復元するため、屋根材に使うヨシを博物館に隣接する狐狸ケ池で刈り取りました。参加者は博物館の職員と明石高専の教員、生徒たちです。 昨日のうちに草刈機で刈り倒したヨシを集めて束ねていきます。 草が混じると良くないので、丁寧に作業を進めました。 台車にのせて、公園の一角に設けたヨシ置き場へ運びます。 束ねたヨシは木陰に立てて来年まで保管します。 これが刈り取り前。 刈り取り後は、こんなにキレイになりました! 今日の作業ではまだまだヨシが足らないので、1月に稲美町の加古大池でもヨシ刈りを予定しています。 参加した皆さん、おつかれさまでした。

現地説明会レポート「弥生時代後期から古墳時代の墳墓の調査ー中村群集墳(神戸市西区)」

7から9号墳  兵庫県教育委員会が(公財)兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部に調査を委託している中村群集墳で、11月8日(日)に現地説明会が開催されました。天候にも恵まれ、多くの参加者がありました。 これまで、古墳時代後期の群集墳と考えられていた中村群集墳ですが、今回の調査で弥生時代後期にさかのぼる墓地であることがわかりました。弥生時代後期の墓には、墳墓3基(7・8・9号墳)と土器棺3基があります。 8号墳の木棺 弥生時代の墳墓には木棺が使用されており、7号墳と8号墳はそれぞれ2棺、9号墳は1棺が納められていました。 7号墳出土土器 木棺に副葬品は納められていませんでしたが、壷・器台・高杯などの供えられた土器(供献土器)が出土しています。 土器棺1~3 土器棺墓は墳墓の西側で見つかっており、壷・甕・高杯などを棺に転用しています。子どもの墓である可能性があります。 調査区の西端では、古墳時代前期の墓である6号墳が検出されましたが、部分的な検出で、全容は明らかではありません。古墳東側の斜面で供えられたと考えられる壷の一部が出土しています。 10号墳の埋葬施設 古墳時代後期のものとしては、10号墳が見つかっています。木棺が納められており、杯身・杯蓋、堤瓶、高杯などの須恵器が出土しました。これらの土器は棺の外に置かれていたものと思われます。 玉津田中遺跡から中村群集墳を望む 前述のように、今回の調査では弥生時代後期にさかのぼる墳墓が見つかりました。これまで明石川流域では、弥生時代後期の集落はあるものの墓地は見つかっていませんでした。今回発見された墓地は、中村群集墳の眼下に広がっていた玉津田中遺跡をはじめとする集落の墓地であった可能性があります。

博物館はクリスマスムード

11月の文化行事の数々が無事に終了。特別展は好評のなか閉幕し、季節は冬へ…。 今年も恒例のクリスマスツリーがお目見えしました。 これも恒例、学習支援課総出で、廊下から階段にかけて飾りをつけます。 しっかりと結束バンドで固定します。 ご来館の皆さんの邪魔にならないよう、電源コードをつなぎます。 とてもきれいですよ。 この階段を歩くともうクリスマス気分です。 夕方になると、ひときわ輝いています。 今年は神戸ルミナリエも中止になりました。 コロナウイルスの蔓延が少しでも落ち着き、クリスマスをゆっくりと過ごせるようになることを祈るだけです。

過去の記事一覧

もっと見る