私たちの身の回りには、海外からやってきたものがたくさんあります。例えば、日本の食料自給率は約40%で、残りの60%は海外からの輸入品だそうです。現在の私たちの生活は、輸入品がないと成り立ちません。 日本はアジアの東端にある島国です。昔から、大陸との交流を背景にさまざまな技術や風習、道具が日本に伝わりました。当館の展示室の中にも海外からやってきたものが展示されています。そのいくつかを見てみましょう。 板状鉄斧(中西山遺跡:三田市) 石と鉄の映像コーナーに目立たなく展示されている鉄の塊。弥生時代の鉄斧です。弥生時代には、まだ日本で鉄を作る技術はありませんでした。そのため、この大きな鉄の塊は素材として朝鮮半島から輸入され、日本でこれを加工して、小さい鉄製品を作っていたと考えられています。 ガラス玉(東梅田墳墓群:朝来市) 弥生時代末のお墓から見つかったこれらのガラス玉は、すべて海外から運ばれたものです。インド・パシフィックビーズとよばれ、インド~東南アジア各地で生産されたガラス玉です。海上交易によって、世界各地に運ばれたと考えられています。日本の弥生時代や古墳時代前半のお墓から見つかるガラス小玉も、ほとんどが同様のビーズだそうです。 椰子の実の笛(玉津田中遺跡:神戸市西区) 弥生人は、黒潮に乗りやってきた椰子の実に 孔をあけて笛をつくりました。この椰子の実も、原産地であるフィリピンやインドネシアあたりから、流れてついたのかもしれません。 「♪名も知らぬ遠き島より…」とはじまる曲「椰子の実」は、柳田國男が流れ着いた椰子の実の話を島崎藤村に語り、それを元に藤村が創作したものです。度々、椰子の実は日本に流れ着いていたようですね。 銅銭とやきもの(南台遺跡:三田市ほか) 意外かもしれませんが、平安時代から中世にかけて日本ではお金は作られず、中国から銭が大量に輸入されていました。当時の人は海外のお金である銅銭を使って売買をしていたのです。中国から輸入されたやきものも、中世の村を発掘するとよく見つかります。お金ややきものといった輸入品が、日常的に使われるようになったようです。 現代だけではなく、昔の人も海外の交易品を使った生活をしていたことが、当館にある展示品からもわかります。早く新型コロナ感染が終息し...
弥生の村、史跡大中遺跡に隣接したフィールドミュージアムです。