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9月 12, 2021の投稿を表示しています

展覧会終了後の撤収作業

 展覧会の準備作業は毎回お伝えしていますが、今回は夏季企画展「淡路島発掘」の撤収作業について、簡単にご紹介します。  大きな遺物は二人掛かりで慎重に箱詰めします。力仕事なのは列品作業の時と同じです。  館所蔵の遺物ですので、収蔵庫までのわずかな距離の移動ですが、破損しないようきちんとクッションを入れて備えます。  目玉資料などを入れるガラスケース(覗きケース)です。蓋は、それ自体はかなりの重量ですが、油圧で軽く開きます。  小さな遺物は、一つ一つ保管場所を記載したシールと照らし合わせてビニール袋に入れていきます。  ガラスケースの下部です。ケースの底に調湿剤を入れておくスペースがあります。湿気の調整は遺物展示の大事なポイントで、展示物に合わせて一定に保つことが重要です。  遺物にはそれぞれどこかに番号などが貼られて、管理されています。展示の時に見えない場所、もしくは見えないように展示するなど工夫します。この番号により同じような大きさ、形状の遺物が複数あっても特定できます。  この遺物に貼られた番号と同じ575と書かれた袋に収めます。この袋には保管場所などを記載したメモが入っています。  ごく小さな遺物も一つ一つ分けて袋に入れます。  他館からお借りしてきた遺物や資料は、間違えの無いように借用時のデータと照合しながら収納します。  靴を脱いで、きちんと正座して袋詰め作業をします。厳かです。背筋がピンと伸びます。  この資料は、引き続き別の場所で展示される人気者です。  後日遠方から借用に来られました。  説明ボードや、遺物のキャプションボードもすべて撤収しました。  ほぼ撤収作業が完了しました。  お借りした資料を返却しに行きます。  公用車のワゴンの荷台に積み込み、これから出発です。  今回のテーマ「淡路島発掘」の名の通り、淡路島各市を回ってお返しに上がります。  展覧会へのご協力、ありがとうございました。 *  *  *  *  *  次回の展覧会は、秋季特別展「屋根の上の守り神-鴟尾(しび)・鯱(しゃちほこ)-」が10月2日(土)から開催されます。  月末になりましたら、準備作業などもご紹介いたします。  特別展の内容につきましては、ホームページをご覧ください。    【https://www.hyogo-koukohaku.jp/】  どうぞ、お楽しみに!  

講演会「県内最大の中期古墳⁉―雲部車塚古墳―」

8月末に実施しました兵庫考古学研究最前線2021「古墳時代の兵庫」の第3回目『県内最大の中期古墳⁉―雲部車塚古墳―』のレポートをお届けします。 講師は、当館の中村 弘 館長補佐です。 中村補佐は当館の開設準備から関わっているメンバーの一人で、当館がまだ"準備室”だったころ、京都大学総合博物館・京都大学考古学研究室とともに共同研究を行った「雲部車塚古墳研究会」のメンバーとして関わってきました。 その成果を活用し、「雲部車塚古墳」の展示コーナーを担当しました。 当館の展示の中でも朱色の壁が目を引き、ひときわインパクトのある展示となっています。 今回は調査研究の成果と、展示の見どころについてのお話です。 講演はQ&Aの形をとり、 「ぶっちゃけ、どないや?」 という疑問に対して回答する、という形で構成されていました。 「なぜ、「陵墓参考地」になったの?」 「副葬品にはどんなものがあるの?」 「展示のどこを注目すればいい?」 「なぜ、盆地の奥に造ったの?」 「誰が葬られているの?」 「実際のところ、どの程度の古墳なの?」 といった、皆さんの知りたいところに的確に答えていきます。 その合間には開館時のエピソードもあり、雲部車塚古墳の魅力を余すことなく紹介しました。 復元の根拠となった明治時代の絵図の写し 長持形石棺と竪穴式石槨の構築順序と、 埋葬儀礼の諸段階 埋葬施設は、竪穴式石槨を築いてから石棺を納めたのではなく、 石棺を設置し、その周囲を石で囲うようにして竪穴式石槨が築かれたそうです。 講演会に予約してご参加いただいた皆さんからは、 「Q&Aの形がわかりやすかった」 と評判でした。 三角板鋲留異形衝角付冑、 横矧板鋲留短甲、 革綴短甲、 鉄柄矛、 須恵器、 埴輪、、、、 出土品からうかがえる築造年代の根拠や、多種にわたる武器・武具類。 そして、 竪穴式石槨と長持形石棺を合わせ持つことの意味、についても触れ、当時、山陰道最大の古墳である雲部車塚古墳の被葬者像を推定するヒントを提示しました。 これからも、雲部車塚古墳やひょうごの古墳がもつ魅力を発信していきますので、どうぞ、おたのしみに。

メインホール展示「邪悪なものをはらう鬼瓦」

現在、秋季特別展「 屋根の上の守り神―鴟尾・鯱― 」に先駆けて、 エントランス・ホールで鬼瓦を展示しています。 南あわじ市の叶堂城跡(かのどじょうあと)から見つかった室町時代の作品で、作者は「小野光仙」とヘラ書きされています。 城跡から見つかりましたが、この鬼瓦は城以前に建てられていた感応寺(かんのうじ)に関連するものと考えられています。 奈良時代の鬼瓦は板状をしていますが、室町時代のものはこの鬼瓦のように立体的につくられました。 こんな怖い顔でにらまれると、災いも逃げてしまいそう。 この展示は、11月いっぱいで終了する予定です。 ➡解説資料は こちらからダウンロード (PDF:0.3M)

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