スキップしてメイン コンテンツに移動

播磨国風土記 ポスターは語る


風土記1300年記念
特別展「播磨国風土記
2013.4.20(土)~6.23(日)


まず目につくのがポスター上部の赤色から下部の水色までのグラデーションだと思います。
神のいる天上から青い海まで、間に人がいて、山もある 神・人・山・海 のイメージです。

大きな黒い題字「播磨国風土記」は、毛筆で書いた後、明朝体を部分的に配置し、簡潔な中にユーモア溢れる表現で記された播磨風土記の題字を、古風な中にインパクトが出るよう創作しています。

次は、播磨国風土記を示す3つの考古遺物です。
播磨国風土記の特徴は、現存している五カ国の風土記の中で、渡来人に関わる記事が多いことがあげられます。
ポスターの真ん中を飾るのは渡来人の海を渡る乗り物である船、長原高廻り2号墳(大阪市)出土の船形埴輪です。
高廻り2号墳は、1987年に大阪市平野区の長原遺跡で行われた発掘調査で、1号墳と共に発見されました。
両古墳とも埋葬施設は失われていたものの、周溝から多くの埴輪が出土し、1992年に33点の埴輪が国指定重要文化財となっています。

ポスター上部の装身具は、渡来人がもたらした文化を示す西宮山古墳(たつの市)出土の垂飾付耳飾です。
西宮山古墳はたつの市日山の兵庫県立龍野高等学校の運動場となっているところにあった古墳です。
垂飾付耳飾は古墳時代の中期に朝鮮半島から伝わったもので、精巧なつくりの装身具です。

ポスター左下のユーモラスな相撲を表す像は、勝手野6号墳(小野市)出土の装飾付須恵器の一部分です。
この須恵器は、小野市の山陽自動車道建設地内の発掘調査をしていた勝手野古墳群から発掘されました。
揖保郡の条に、相撲の神様、野見宿禰(のみのすくね)が、播磨国の立野(兵庫県たつの市)で病死し、その地に埋葬されたことが記述されています。

相撲の像の右には漢字の「品太天皇(ほむだのすめらみこと)」の記載があります。
播磨国風土記には多くの天皇が登場しますが、品太天皇は冒頭の賀古郡での国見の記述をはじめ一番多く登場します。

また、像の左には新羅の国からやって来て、在地の伊和大神(いわのおおかみ)と争った「天日槍(あめのひぼこ)」、その左には揖保郡の条に記述のある針間井(はりまゐ)」の文字を配しています。

律令国としての播磨国成立以前は、明石国(明石郡・美嚢郡・加古郡・印南郡)、針間鴨国(加古川中流~上流)、針間国(加古川以西)となっており、大化の改新以降に播磨国(針間国)になったと言われています。
古事記には「針間」と表記されています。

ポスターのいろんなところで、「天」の文字が躍っています。
本物で確かめてみてください。

このブログの人気の投稿

あなたは縄文人? 弥生人?

人の顔形はさまざま! 顔の輪郭、髪の毛、眉の形、目・まぶた・鼻・口の形は各人ちがいますが、 これらのパーツも縄文人に多い形、弥生人に多い形があります さて、あなたは 縄文人? 弥生人? まずは「自分の顔をつくってみよう」 縄文顔:四角い顔、太い眉、どんぐりまなこ、二重のまぶた、広がった鼻、分厚い唇、毛深い 弥生顔:面長顔、細い眉、切れ長の目、一重のまぶた、小さな鼻、薄い唇、ひげが薄い まず自分の顔をつくってみましょう これらのパーツをつかって・・・ 自分の顔をつくってみましょう そして、左のページを持ち上げ、右の顔に被せるように折りたたみます そして開いてみると 左に顔が移りましたが、 緑 と 橙色 のパーツに 緑は縄文人 橙は弥生人 各パーツが混じっています 現代人は 縄文人的な要素 と 弥生人的要素 が混じっているのです。 中国大陸や朝鮮半島などから各時代に渡来し、混血し、今の日本人になったと考えられます 「自分の顔をつくってみよう」 は 考古博テーマ展示室「人」のコーナーにあります 是非自分の顔をつくって、試してみてください!

明石駅・西明石駅のむかし

特別展「鉄道がきた!ー舟運・海運・馬車道・鉄道ー」 写真展 協力:西日本旅客鉄道株式会社神戸支社 明石駅・西明石駅のむかしの写真があります 明石駅・西明石駅のむかし 昭和9年の明石駅 昭和30年代前半の明石駅 昭和39年の明石駅 昭和47年の西明石駅(新幹線) 西明石駅の在来線と新幹線(昭和47年) 大阪ー神戸間開通140年記念写真展 是非ご覧ください 【お知らせ】 11月1日(土)10:00~16:00 兵庫県立考古博物館とその周辺を会場に 全国古代体験フェスティバル 2014を開催 雨天決行! ---------------------------------------------------------------------- 大阪ー神戸間開業140周年記念写真展 協力:西日本旅客鉄道株式会社神戸支社 11月30日(日)まで 1階エントランスホール ---------------------------------------------------------------------- 次回の特別展講演会 11月8日(土)13:30~15:00 「山陰山陽連絡鉄道敷設計画と播磨・境ルートの検証」 小西 伸彦 (吉備国際大学外国語学部准教授) ---------------------------------------------------------------------- 11月15・16日(土・日) 15日:12:00~15:30 16日:10:00~15:30    ミニSLやミニ特急列車に乗ろう!(ミニ鉄道走行会)    協力:OSライブスティームクラブ 兵庫県立考古博物館 体験広場にて    ※別途観覧券要・開始30分前から整理券配布・お一人様2回まで    ※小雨決行(天候により中止になる場合があります)。 駅そば・駅弁販売     ~駅弁の掛け紙は復刻デザイン!~    姫路名物駅そば、駅弁

#自宅でも考古博 23 「型式の移り変わり」

  当館では考古学の成果だけではなく、考古学での「考え方」についても、さりげなく展示しています。東エントランスを入ったところにある「ときのギャラリー」もそうですが、「発掘ひろば」にもそうした展示があります。  「発掘ひろば」の左奥、壁に丸い水筒のような須恵器が四つ並んでいます。これは古墳時代の「提瓶」(ていへい)と呼ばれる須恵器で、型式の移り変わりを実感していただくための展示です。  考古学では、型式の移り変わりを考える際にポイントとなる「ルジメント」という考え方があります。もともとは生物学の用語で、日本語では「痕跡器官」となります。例えば、人の尾てい骨のように、昔は機能していても、現在は退化して、痕跡のみとなっている器官の事です。  提瓶はこの「ルジメント」が判りやすいものですが、それにあたるのはどの部分でしょうか? 提瓶の型式変化    肩の部分に注目してください。右から丸い輪が両方についているもの、輪ではなく鉤状の突起が付いているもの、ボタン状になっているもの、何もついてないものと変化しているのが分かると思います。  これは提げるための紐を結ぶための部分が、その機能が失われることによって、時期が新しくなるにしたがって、退化していくことを示しています。つまり、展示でいうと右から左にかけて、型式が新しくなるということです。  でも、変化の方向としては「提げるという機能が追加されていくという変化(左から右)でもいいのでは?」というツッコミが入りそうです。実は高校の授業で提瓶を使って、ルジメントの説明をしたことがあるのですが、2回の授業とも生徒の圧倒的多数がそういう意見でした。  では、変化の方向を決めるのは何かを再度考えてみます。機能が追加されていく方向に変化するのであれば、紐がひっかけられないボタン状の段階は必要ありませんよね。したがって、型式が変化する方向は右から左ということになるのです。  ルジメントについて、何となくわかっていただけたでしょうか?実際の型式変化については、ルジメントだけではなく、層位学の考え方(古いものが新しいものより深い地層から出土する)なども加味しています。この考え方についても、「発掘ひろば」で紹介していますので、ご確認ください。  ところで、提瓶の変化はどうして起こるのでしょうか?

過去の記事一覧

もっと見る