10月4日(日)、兵庫県教育委員会が(公財)兵庫県まちづくり技術センターに委託して調査を行っている登リ田遺跡(姫路市)の現地説明会が開催されました。少し雲が多い空模様でしたが、200名近くの参加者がありました。今回の説明会も密を避けるため、複数の担当者が一定数の参加者を引率して解説を行いました。
登リ田遺跡では飛鳥時代から平安時代にかけての建物が13棟以上見つかっています。
建物は棟の向きが異なる3つのグループ(ほぼ南北方向に向くもの、東に12度振るもの、東に約28度振るもの)に分類され、建てられた時期が異なっているものと考えられます。
遺跡周辺の地盤は、川が近く砂を含み軟弱なため、柱穴の底に石(礎盤石)を入れ、柱の沈下を防いでいました。
また、新聞記事でも取り上げられた飛鳥時代の馬の墓については、資料保護のため実物を公開できないため、写真パネルで説明を行ないました。
それでは登リ田遺跡はどのような性格の遺跡なのでしょうか?
規則正しく配置された建物跡、播磨国府系瓦をはじめとする遺物の内容から、役所的な要素がうかがえます。遺跡の周辺は、古代においては播磨国飾磨郡美濃里に含まれます。『播磨国風土記』には「美濃里 継潮(つぎのみなと)」とあり、このあたりには港が置かれていました。登リ田遺跡は「継潮」に関連する施設ではないかと思われます。今後の調査でさらに遺跡の詳細が明らかになっていくでしょう。
当ブログでは今後も兵庫県教育委員会が(公財)まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部に委託して実施する発掘調査の情報をレポートしていきます。お楽しみに。