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#自宅でも考古博 14 「馬のいる駅」

 現代にはおもしろい駅がたくさんあります。犬駅長のいる駅、猫駅長のいる駅、中には伊勢エビ駅長のいる駅もあるようです。実は古代(飛鳥時代〜平安時代)の日本には、400カ所以上の駅に馬がいました。昔の駅は、電車を乗り継ぐ場所ではなく、馬を乗り継ぐ場所だったのです。

 古代には「駅制」という交通制度があり、全国に東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の「七道(しちどう)」が造られ、駅路として高速道路のような役割を果たしていました。

古代の駅路(博物館のパネル)

 兵庫県には山陽道(播磨)、山陰道(丹波・但馬)、南海道(淡路)の3つの駅路が走っていました。駅路は直線的に造られており、原則30里(約16km)ごとに駅家(うまや)が設置されました。古代山陽道の各駅には、馬が約20頭いたことがわかっています。都や諸国から、鈴を鳴らした使者が早馬でやってきて駅で馬を乗り換え、目的地に向かって進んで行きました。


 山陽道の駅家は、使者の食事・宿泊や宴会、外国からの客人をもてなすための施設としても利用されました。8世紀には、国の威信を示すため、瓦葺の屋根、白い壁と赤い柱を持つ立派な建物が建設されました。なお、古代の駅にも駅長がいましたが、残念ながら全員人間だったようです。


 兵庫県では、これまでに古代山陽道沿いの5カ所の駅家が発掘調査されていましたが、今年に入って上郡町で6カ所目の「高田駅家(たかだのうまや)」(辻ヶ内遺跡)が発掘されました。調査の結果、駅家を取り囲む塀や、播磨国の駅家に特徴的な瓦が発見されました。

上郡町辻ケ内遺跡の発掘・瓦がたくさん出土している

  当館のテーマ展示室では、たつの市の布勢駅家(ふせのうまや)から出土した瓦や木簡、土器を展示しています。土器には「驛(駅)」と書かれています。


「驛」墨書土器

 上郡町の野磨駅家(やまのうまや)は清少納言『枕草子』や『今昔物語集』にも登場します。

野磨駅家(落地遺跡)の解説

 
博物館が再開したら、古代の駅から発見された展示物をぜひ見に来てください。



古代の駅の展示コーナー
(学習支援課 新田宏子)

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