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#自宅でも考古博 13「お宅拝見-大中遺跡復元住居ー」


新型コロナウイルス感染予防のため、「家にいよう」が合い言葉になっております。大中遺跡公園内には、弥生時代の住居が復元されています。現在は「3密」を避けるために中に入ることができませんが、今回は皆さんの代わりに中の様子をご紹介しましょう。

大中遺跡の発掘調査では、地面を掘りくぼめた跡や柱の跡、焼け焦げた柱の痕跡が80棟以上確認できました。昭和49年「播磨大中古代の村」として整備する際に、日本の古い建築や古い時代の鏡に描かれた絵、民族例などを参考に竪穴住居2棟の復元が行われました。
現在は、弥生時代の大中の村の様子を再現するため7棟の住居を復元していますが、これらは最初に復元した住居をモデルにしています。

公園西側の入り口から見た風景

今回ご紹介するのは、西側入り口の一番手前の住居です。令和21月に屋根の修理が終わったばかりの住居で、外観はカヤがきれいな状態です。
修理前と少しだけ変わったのは、屋根の端の部分にあった千木と呼ばれる角状の飾りがなくなった点です。雨で傷みやすいので今回は再現しませんでした。

修理後の復元住居の外観

それでは、中に入ってみましょう。階段があるのと、中が暗いので注意して下さい。目が慣れてくると、中の様子がわかってきます。

復元住居の入口


柱が4本建っており、その上に梁(はり)と桁(けた)が載っています。梁と桁には垂木(たるき)が斜めにかかっており、屋根を支える構造です。垂木には小舞(こまい)と呼ばれる細い木が横方向に結びつけられています。この小舞に屋根であるカヤが結びつけられています。
真ん中にくぼんだところがありますが、そこで火を焚いていました。家の真ん中より外側の床が、1段高くなっているのも特徴の一つです。
皆さんの家族が弥生時代の人になったとしたら、どんな生活をしていたのでしょうか。どんな風に料理を作り、どんな風にご飯を食べて、どんな風に寝ていたのでしょう。また、家族はどんな会話をしていたのか想像してみて下さい。

復元住居の内部

修理が終わった復元住居については、燻蒸(くんじょう)作業を月2回行っています。

燻蒸中の復元住居

この作業は、復元住居内で松葉を燃やして煙を出し、煙の成分を住居内に付着させることで、害虫を防ぎ、カビが生えにくいようにするために行っています。虫だけでなく、中で作業をする人も一緒にいぶされてしまいます。

燻蒸中の復元住居の内部

また復元住居の公開が再開されたら、住居に入って煙のニオイも感じてみて下さい。

(学習支援課 岡本一秀)


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