サスペンスドラマや推理小説などで「犯人は左利きだ!」と、捜査員や鑑識の人が残された証拠によって犯人の利き手を推理する場面がありますよね。考古学でも、遺跡から出土する資料を手がかりにして、作った人や使った人が右利きか左利きかを推理することがあります。
まず、弥生時代後期の土器を見て見ましょう。この頃の土器は、平行する溝を刻んだ羽子板のような道具を使って土器の表面を叩きしめているため、その溝の痕跡が文様となって残っています。この溝状の文様は右上がりのものが圧倒的に多く、ごくたまに左上がりのものが見られることから、前者が右利きの、後者が左利きの土器製作者によってつくられたものと考えられています。
次に、弥生時代に稲穂を摘むのに使われた石庖丁を見てみましょう。
近畿地方で見つかる石庖丁は、刃の片面側だけが研がれています。そこで、刃の研がれた面をA面、研がれていない面をB面とします。
また、石庖丁を手に持つため、紐を通す穴が2つ開けられており、その位置は真ん中より少し片側に寄っています。
刃は片面側だけが研がれているので、裏返しては使いません。また、紐を通した穴の周囲には、長年の使用ですり減った「紐ずれ」の痕が見られます。
穴の角や表面がすり減っている「紐ずれ」の箇所は、刃の研がれた面(A面)では2つの穴どうしを結ぶ方向(横方向)に、刃の研がれていない面(B面)では2つの穴からそれぞれ上方に観察されます。
多くの石庖丁をみると、この2つの穴の位置が、A面から見て左側に偏っているもの(石庖丁①)と、右側に偏っているもの(石庖丁②)の2者あることがわかっており、使用法から考えて、前者が右利き用、後者が左利き用であると推定されます。
七日市遺跡(丹波市)では石庖丁②が全体の約3.6%を占めており、大半は石庖丁①です。
世界各国で調べられた左利きの割合は各地で2~30%の幅があり、全体では概ね10%程度という数字が出ています。
七日市遺跡では、石庖丁②を使っていた3.6%の人だけが左利きだったのか、あるいは左利きの人の一部が右利きに矯正されたために本来の左利きの割合(約10%)よりも減ったのか、はたまた二刀流で両手同時に石庖丁を使える達人がいたのか。
石庖丁の使用法と利き手の謎を解くには、さらなる証拠が必要なようです。
まず、弥生時代後期の土器を見て見ましょう。この頃の土器は、平行する溝を刻んだ羽子板のような道具を使って土器の表面を叩きしめているため、その溝の痕跡が文様となって残っています。この溝状の文様は右上がりのものが圧倒的に多く、ごくたまに左上がりのものが見られることから、前者が右利きの、後者が左利きの土器製作者によってつくられたものと考えられています。
左側:左利き、右側:右利き
(津万遺跡群/西脇市)
次に、弥生時代に稲穂を摘むのに使われた石庖丁を見てみましょう。
近畿地方で見つかる石庖丁は、刃の片面側だけが研がれています。そこで、刃の研がれた面をA面、研がれていない面をB面とします。
また、石庖丁を手に持つため、紐を通す穴が2つ開けられており、その位置は真ん中より少し片側に寄っています。
左側に寄った位置に穴が開けられた石庖丁(A面)
(玉津田中遺跡/神戸市西区)
刃は片面側だけが研がれているので、裏返しては使いません。また、紐を通した穴の周囲には、長年の使用ですり減った「紐ずれ」の痕が見られます。
穴の角や表面がすり減っている「紐ずれ」の箇所は、刃の研がれた面(A面)では2つの穴どうしを結ぶ方向(横方向)に、刃の研がれていない面(B面)では2つの穴からそれぞれ上方に観察されます。
石庖丁(B面)の紐ずれ(七日市遺跡/丹波市)
石庖丁の使用法
この紐ずれの法則から、図のような稲穂を摘む方法が推測できます。すなわち、刃の研がれていない面(B面)を上に向けて持ち、親指をのばして稲穂を挟み、刃の先を押し上げて手首を返すように「ぷつっ」と切るのです。
紐ずれと利き手
多くの石庖丁をみると、この2つの穴の位置が、A面から見て左側に偏っているもの(石庖丁①)と、右側に偏っているもの(石庖丁②)の2者あることがわかっており、使用法から考えて、前者が右利き用、後者が左利き用であると推定されます。
七日市遺跡(丹波市)では石庖丁②が全体の約3.6%を占めており、大半は石庖丁①です。
世界各国で調べられた左利きの割合は各地で2~30%の幅があり、全体では概ね10%程度という数字が出ています。
七日市遺跡では、石庖丁②を使っていた3.6%の人だけが左利きだったのか、あるいは左利きの人の一部が右利きに矯正されたために本来の左利きの割合(約10%)よりも減ったのか、はたまた二刀流で両手同時に石庖丁を使える達人がいたのか。
石庖丁の使用法と利き手の謎を解くには、さらなる証拠が必要なようです。
(学芸課 上田健太郎)