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特別展の見どころ 6 ~黒田官兵衛と御着城遺物~

特別展「 動乱!播磨の中世~赤松円心から黒田官兵衛まで~ 」の見どころをご紹介する6回目です。今回は、黒田官兵衛と御着城の遺物についてです。


御着城跡出土 瓦質土器風炉
(姫路市埋蔵文化財センター蔵)
茶をたしなんだ官兵衛も目にしたかも・・

 来年のNHK大河ドラマの主人公 黒田官兵衛は、姫路城主小寺(黒田)職隆の子で、諱(いみな)を孝高(よしたか)、出家後は如水(じょすい)と号しました。
 織田信長の勢力が播磨に及んできたとき、主家である御着城主の小寺政職に信長へ就くことを勧めました。

 天正6年(1578)、有岡城主(伊丹市) 荒木村重が信長に背いた際、単身で乗り込み説得にあたるも捕らえられ、城中に幽閉されました。翌年、信長が有岡城を落とした時に救出され、以後羽柴(豊臣)秀吉に重用されました。
 関ヶ原合戦では子の長政と共に東軍に属し、長政は、徳川家康から筑前国(福岡県)に五十二万三千石を与えられました。

黒田孝高像 
江戸時代(大阪城天守閣蔵)


 官兵衛の主君 小寺氏の居城 御着(ごちゃく)城は、姫路市御国野町にありました。
 
礎石建物跡
(姫路市埋蔵文化財センター写真提供)


 御着城跡の発掘調査は、昭和52年度から54年度にかけて行われました。
 本丸跡からは堀、土塁、水門、石垣、礎石建物跡、瓦区画建物など多様な遺構が見つかりました。
 出土遺物も多彩で、瓦質土器火鉢・風炉、信楽焼壺、丹波焼甕、備前焼擂鉢、瀬戸 美濃焼天目茶碗などが大量に出土しました。

備前焼薬研(やげん)
(姫路市埋蔵文化財センター蔵)
薬などをすりつぶすのに使用 備前焼の薬研は類例が少ない


瀬戸・美濃焼鉄釉水滴
(姫路市埋蔵文化財センター蔵)


 これらの遺構・遺物から、御着城は少なくとも14世紀後半には存在しており、終末は16世紀後半と考えられ、200年間にもわたって営まれたことがわかってきました。
 その中で、大型や中型の堀や土塁が築かれて、本格的な城郭として成立するのは16世紀後半と考えられています。
 17世紀の初頭、池田輝政によって姫路城が大改修され、現存する国宝姫路城が出現しますが、近世城郭の成立を研究する上で、御着城はきわめて重要な資料を提供しました。


特別展は12月1日(日)まで開催中です。
会期、残すところあとわずか!
ぜひ足をお運びください!!


【予告】
11月30日(土)13:30~15:00
特別展講演会
「中世播磨の終焉―織田政権と播磨―」
小林基伸氏(大手前大学教授)
聴講とあわせて展覧会もぜひ!!

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