(ほったん)
4月13日から始まった「kid’s考古学新聞」の展示もこの30日(土)で終了だね。
ほんとに力作ぞろいだったから、もしまだ見ていない人がいたら今のうちだよ。
この新潟県の小学3年生の女の子の書いた「旅するヒスイ」はよく書けているなあ。手書きのイラストもかわいいね。
ふ~ん ヒスイって5000年前の縄文時代には既にペンダントのようにぶら下げるアクセサリーとして使っていたんだって・・・。
アレ ちょっと待って。縄文時代には鉄もなかった時代なのにどうやって穴を開けることが出来たんだろう?
さっそく学芸員さんに聞いてみよう!
(学芸員)
どうしたんだい。ほったんそんなに急いでやって来て。館内は走ったらいけないんだよ。
ゴメンナサイ!
ところであの壁新聞に「縄文時代にヒスイに穴を開けていた」と書いてあったんだけど、ほんとにそんなことできたの?
このような穴を開けた装飾品は、最初は動物の骨や貝殻を使っていたんだけど、これらは今、特別展示室で公開している春季企画展”動物と考古学”(6/30まで)で観覧できるので、ぜひもう一度そちらにも注目してほしいなぁ。
は~い。
ところで、ヒスイのような石材としては他に水晶やメノウなど、それから樹脂が化石化したものとしてコハクなども材料としてして使われていたんだ。これらはテーマ展示室で1年中見ることができるよ。
上から2段目の白系が水晶、3・4段目の茶系が瑪瑙(メノウ)、その他ガラス製
これらの石材よりもヒスイはもっと硬い石なので、穴を開けるのはとても労力がかけられていたんだろうね。
でもヒスイは淡い緑色のとっても綺麗な石なので、古くから人気のある宝石だったんだ。なんと、このヒスイを加工した最も古いものが日本(新潟県糸魚川市)で見つかっているんだよ。
本当だ。
アッ!だから新潟県に住んでいる小学生がヒスイを調べてみようと思ったのか。
ヒスイが人気だったのは分かるけれど、やっぱり穴の開いたものは、本当は縄文時代じゃなくてもっと後の時代、鉄が使われるようになった弥生時代や古墳時代のものじゃないの?
それじゃあこっちを見て。
まるやま遺跡(淡路市)から出土した装身具の一部で、垂飾(すいしょく)と呼ばれているものなんだ。今で言うところのイヤリングかな。
この遺跡からは旧石器時代から縄文時代にかけての石器がたくさん見つかっているんだ。
見たとおり二つともしっかり穴があいているだろう。
しかも、この垂飾の穴には糸ずれの痕跡が認められることから、穴に糸を通して垂れ下げて長い間使われていたということもわかるんだ。
本当に縄文時代だったんだ。
なおさら、石より硬いものがない時代にどうして穴を開けていたのかとても不思議だよ。早く教えて。
その答えは「砂」なんだ。
細かくて硬い砂を石にのせて、その一カ所に集中して、恐らく竹串のような細い木製品や細い中空の竹のような植物を使って、気長に穴を開けていったんだ。砂がいわゆる研磨剤(けんまざい)の役割をして、少しずつだけれど穴を深く削っていったんだね。
ただ、その穴も一方からだけでなく、反対側からも削っていたらしいんだ。そうしないと、一方だけから開けていくと最後に貫通するときに割れてしまうことがあるんだ。その証拠に玉造りの遺跡からは失敗作品も出土しているんだよ。
へ~。気が遠くなりそうな作業だね。
ボクにはとても出来そうにないよ。
そうだね、現在の鉄の錐(キリ)を使ったとしても時間がかかる作業だね。
そういえば、館の体験事業で「勾玉(まがたま)づくり」をやっているから申し込んだらどうかな。
毎日できる古代体験
こちらの方は滑石(かっせき)という柔らかい石を使っているので、楽しく体験できると思うよ。
わかった。一度体験して、縄文人の苦労を少しは感じてみるよ。