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大中遺跡公園での取り組み

当博物館に隣接する史跡・大中遺跡は、 
弥生時代後期(1800~1900年前頃)の様子を感じることができる史跡公園です。
 いつもウォーキングや、散歩に来られたご家族の姿が見られ、
ゆっくりとした時間を過ごしていただいております。

公園には現在11棟の竪穴住居が復元されていますが、
建築してから年月がたって、傷みの目だつものも増えています。
また公園の樹木も茂りすぎて、魅力が損なわれる場所もあります。

考古博物館では弥生時代のムラを感じることができるよう、
住居の修理や木々の伐採・せん定を始めています。


こちらは昨年度、修理をおえた復元1101号住居。
中に入って、当時の暮らしを体感することができます。


またあらたに建築している竪穴住居もあります。
8月25日(日)は、明石高専・建築科と連携して行っている
「竪穴住居復元プロジェクト」の活動日でした。
皆で力を合わせて、11棟目の竪穴住居を建てています。
棟(むね)の形がどうなるかを検討中。楽しい悩みです。

7月の活動日には、明石高専との交流で来日していた
台湾からの留学生も手伝ってくれました。


史跡公園のメンテナンスを通して、自然豊かな公園の環境をいつまでも保てるよう、
場所によっては立入りをご遠慮いただく場合もありますが、
ご理解・ご協力をお願いします。
皆さんに親しまれ、集い、活動できる空間を目指して取り組んでいます。


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