スキップしてメイン コンテンツに移動

池ノ下遺跡 企画展 ひょうごの遺跡Vol.5から

企画展に伴う遺跡紹介、今回は、長越遺跡と同じく播磨国、姫路市南西部の苫編(とまみ)、町坪(ちょうのつぼ)、飾磨区高町に所在する池ノ下遺跡です。

名称の元となった「池ノ下」の小字は、北側に位置する四ツ池(北から町坪池、玉手池、中池、苫編池)の下方に位置することから付けられたと考えられます。

遺跡周辺には平安時代から中世の集落である豆田遺跡や大淨口遺跡、村東遺跡があり、遺跡密度が高いところです。

池ノ下遺跡遠景(南西から)

今回の調査は、周辺部での適切な市街化推進のための土地区画整理事業により実施されています。

本発掘調査区域は東西900m、南北260mと広大であったため、工区を8つに分け、調査も3ヶ年5次に亘って実施されました。

A地区全景
B地区全景
C地区全景
D地区全景
E地区全景
F地区全景
G地区全景
H地区全景
池ノ下遺跡の遺構と遺物は旧石器時代から中世に渡っていますが、企画展では弥生時代から古墳時代はじめにスポットを当てて展示しています。

池ノ下遺跡でも長越遺跡と同じく庄内式甕が出土します。

庄内式甕の説明は播磨・長越遺跡でどうぞ。


さらに、吉備、讃岐、阿波、河内、丹波、但馬、山陰など他地域の土器がみられます。

これらは、姫路市の南部のこの時代の遺跡の特徴です。

土器溜り
出土土器

また、ほぼ完形となった縄文土器をメインケースに展示しています。

優美なくびれを持ち、全体に精緻な文様を施した「中津式」と呼ばれる瀬戸内沿岸部に広く分布する土器です。

縄文をつけた後に囲った線の外側の縄文を消す「擦り消し(すりけし)縄文」技法が使われています。

こんな状態で埋まっていたものが、接合されて生まれ変わっています。


この縄文土器を発掘した調査員は、この地域ではなかなか完全な形となる縄文土器はないため、この時は「もしやと、胸高まらせていた。」と語っています。

ここまで完全なものは極めて珍しい縄文土器です。



もう一つメインケースに展示しています。

それは注ぎ口が水差し形をした唐三彩(とうさんさい)の弁口瓶(べんこうへい)です。

唐三彩は中国、唐代に作られた軟質陶器で、白地に焼いた生地に緑や赤褐色、藍色あるいは緑にクリーム色・白の三色の組み合わせを用いて彩色し、もう一度焼いて仕上げたものです。

二つの色の組み合わせも三彩と呼びます。

唐三彩の国内での出土は約70遺跡でみられますが、瓶類の出土例は少なく、弁口瓶の出土は全国でここだけのものです。

弁口瓶は地面に突き刺さった状態で見つかりました。

最初に発見した調査員は、山裾をみながら遺跡の広大さなどを頭に描きながら発掘しており、何気なくいつもどおりに取り上げたということで、まさかこのような物がみつかるとは思ってもみなかったようです。



別の調査員も見て、この形はもしやということで、この後様々な調査がなされ、他に出土例のない唐三彩弁口瓶ということがわかりました。

遣唐使か船舶従事者か、どのようにしてこの地にもたらされてきたのか、興味は尽きません。

このブログの人気の投稿

あなたは縄文人? 弥生人?

人の顔形はさまざま! 顔の輪郭、髪の毛、眉の形、目・まぶた・鼻・口の形は各人ちがいますが、 これらのパーツも縄文人に多い形、弥生人に多い形があります さて、あなたは 縄文人? 弥生人? まずは「自分の顔をつくってみよう」 縄文顔:四角い顔、太い眉、どんぐりまなこ、二重のまぶた、広がった鼻、分厚い唇、毛深い 弥生顔:面長顔、細い眉、切れ長の目、一重のまぶた、小さな鼻、薄い唇、ひげが薄い まず自分の顔をつくってみましょう これらのパーツをつかって・・・ 自分の顔をつくってみましょう そして、左のページを持ち上げ、右の顔に被せるように折りたたみます そして開いてみると 左に顔が移りましたが、 緑 と 橙色 のパーツに 緑は縄文人 橙は弥生人 各パーツが混じっています 現代人は 縄文人的な要素 と 弥生人的要素 が混じっているのです。 中国大陸や朝鮮半島などから各時代に渡来し、混血し、今の日本人になったと考えられます 「自分の顔をつくってみよう」 は 考古博テーマ展示室「人」のコーナーにあります 是非自分の顔をつくって、試してみてください!

明石駅・西明石駅のむかし

特別展「鉄道がきた!ー舟運・海運・馬車道・鉄道ー」 写真展 協力:西日本旅客鉄道株式会社神戸支社 明石駅・西明石駅のむかしの写真があります 明石駅・西明石駅のむかし 昭和9年の明石駅 昭和30年代前半の明石駅 昭和39年の明石駅 昭和47年の西明石駅(新幹線) 西明石駅の在来線と新幹線(昭和47年) 大阪ー神戸間開通140年記念写真展 是非ご覧ください 【お知らせ】 11月1日(土)10:00~16:00 兵庫県立考古博物館とその周辺を会場に 全国古代体験フェスティバル 2014を開催 雨天決行! ---------------------------------------------------------------------- 大阪ー神戸間開業140周年記念写真展 協力:西日本旅客鉄道株式会社神戸支社 11月30日(日)まで 1階エントランスホール ---------------------------------------------------------------------- 次回の特別展講演会 11月8日(土)13:30~15:00 「山陰山陽連絡鉄道敷設計画と播磨・境ルートの検証」 小西 伸彦 (吉備国際大学外国語学部准教授) ---------------------------------------------------------------------- 11月15・16日(土・日) 15日:12:00~15:30 16日:10:00~15:30    ミニSLやミニ特急列車に乗ろう!(ミニ鉄道走行会)    協力:OSライブスティームクラブ 兵庫県立考古博物館 体験広場にて    ※別途観覧券要・開始30分前から整理券配布・お一人様2回まで    ※小雨決行(天候により中止になる場合があります)。 駅そば・駅弁販売     ~駅弁の掛け紙は復刻デザイン!~    姫路名物駅そば、駅弁

#自宅でも考古博 23 「型式の移り変わり」

  当館では考古学の成果だけではなく、考古学での「考え方」についても、さりげなく展示しています。東エントランスを入ったところにある「ときのギャラリー」もそうですが、「発掘ひろば」にもそうした展示があります。  「発掘ひろば」の左奥、壁に丸い水筒のような須恵器が四つ並んでいます。これは古墳時代の「提瓶」(ていへい)と呼ばれる須恵器で、型式の移り変わりを実感していただくための展示です。  考古学では、型式の移り変わりを考える際にポイントとなる「ルジメント」という考え方があります。もともとは生物学の用語で、日本語では「痕跡器官」となります。例えば、人の尾てい骨のように、昔は機能していても、現在は退化して、痕跡のみとなっている器官の事です。  提瓶はこの「ルジメント」が判りやすいものですが、それにあたるのはどの部分でしょうか? 提瓶の型式変化    肩の部分に注目してください。右から丸い輪が両方についているもの、輪ではなく鉤状の突起が付いているもの、ボタン状になっているもの、何もついてないものと変化しているのが分かると思います。  これは提げるための紐を結ぶための部分が、その機能が失われることによって、時期が新しくなるにしたがって、退化していくことを示しています。つまり、展示でいうと右から左にかけて、型式が新しくなるということです。  でも、変化の方向としては「提げるという機能が追加されていくという変化(左から右)でもいいのでは?」というツッコミが入りそうです。実は高校の授業で提瓶を使って、ルジメントの説明をしたことがあるのですが、2回の授業とも生徒の圧倒的多数がそういう意見でした。  では、変化の方向を決めるのは何かを再度考えてみます。機能が追加されていく方向に変化するのであれば、紐がひっかけられないボタン状の段階は必要ありませんよね。したがって、型式が変化する方向は右から左ということになるのです。  ルジメントについて、何となくわかっていただけたでしょうか?実際の型式変化については、ルジメントだけではなく、層位学の考え方(古いものが新しいものより深い地層から出土する)なども加味しています。この考え方についても、「発掘ひろば」で紹介していますので、ご確認ください。  ところで、提瓶の変化はどうして起こるのでしょうか?

過去の記事一覧

もっと見る