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神出遺跡 企画展 ひょうごの遺跡 Vol.5から

神戸市西区神出(かんで)には、平安時代から鎌倉時代にかけて、瓦、須恵器を生産した神出古窯跡群があります。
A地区調査地遠景(南から)
雌岡山(めっこさん)を中心に分布し、数基から10数基が単位となる支群によって構成されています。

また、これら総数100基を超える窯跡以外に、それに伴う集落跡や粘土採掘坑が発見されたことによって、瓦、須恵器生産過程の一端が明らかになっています。

B地区調査区遠景
現在の雌岡山西南麓一帯は、近世以後に開発された新田地帯となっていますが、窯跡とそれに伴う遺構の存在が確認されています。

ちなみに、雌岡山(めっこさん)があれば雄岡山(おっこさん)という山もあります。

C地区全景南から
今回の発掘調査は国道175号神出バイパス建設に伴い、4調査区で行いました。



D地区調査区遠景(西から)
今回の調査では窯そのものの調査は行われていませんが、大型掘立柱建物や炭窯など、須恵器生産に付随する工房関連の遺構が発見されました。

須恵器鉢、甕、瓦などの大量の製品の他に、青磁、白磁の輸入陶磁器や当時の身分の高さを象徴する檜(ひのき)の檜扇(ひおうぎ)など有力者の所有物が出土しています。

 檜扇は、年輪が平行にあらわれる柾目(まさめ)の檜の薄板を重ね、下端の穴に糸を通して要(かなめ)とし、上端を糸で綴った扇で、準正装である衣冠(いかん)または平服である直衣(のうし)において、笏(しゃく:男性の官人が束帯を着用した際に威儀を整えるため右手に持った木製の板)にかえて用いるものです。

即ち、皇族や貴族、(受領、国司クラスも?)等、高い身分を象徴するものです。

遺跡からの出土例としては、平城京左京三条の長屋王邸跡(奈良時代)、美作国府跡(奈良時代)、平安京・鳥羽離宮跡(平安時代:12~13世紀)等があります。

檜扇という当時の身分の高さを象徴するとも言えるものが流路から出土したことは、ここに、この様な持ち物を持ち得る階層、入手できる階層の人がいたことになります。

それが、受領や国司、または在庁官人層に代表される在地勢力であるかは定かではありませんが、窯業生産に関わる直接的・間接的、且つ積極的介入を背景とした様々な交流の中でこの地にやって来ることになったのでしょう。

出土している土器の時期から、この扇が流路に廃棄?されたのは、神出窯最盛期に当たる12世紀後半から13世紀前半と考えられます。

この後、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)による魚住泊の改修を契機に、工人集団の魚住赤根川への再編が図られ、急速に衰退・消滅していくこととなります。

須恵器鉢出土状況




遺物出土状況

軒丸瓦

軒平瓦

檜扇の骨
檜扇出土調査区全景
当時の陶磁器好きの調査員は、今は地面が削りとられて水田が広がるこの地域で、窯跡を想像することはできないが、神出を掘るなら窯跡を掘り当てたいという期待のもとに調査していた。
しかしながら、この時は窯跡に行き当たらず残念だったが、工房関連の遺構から、備前焼きや輸入陶磁器などが見つかり、生活の一端が偲ばれたと、述べています。

また、別の調査員は、溝の中のドロドロの泥の中から生活用品としての土器がみつかり、檜扇の一部が見つかった。見つけた瞬間、これは檜扇だとわかったと語っています。

翌日に、この溝の一部が崩れてしまったため、上の航空写真では突っ支い棒が何本もみえます。
無事に発掘調査を終えるため、一生懸命だったようです。

どういう経緯でここにあったにか、誰の持ち物であったのか、推理ロマンを駆り立てるものです。

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