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市之郷遺跡 企画展ひょうごの遺跡Vol.5から

市之郷遺跡は、JR姫路駅の東側にある、弥生時代から室町時代にかけての遺跡です。

市之郷遺跡全景 南上空から

姫路市は、古代においては山陽道を中心とした交通の要衝として、江戸時代以降は姫路城を中心とした城下町として栄えてきたところです。

市之郷は旧城南村大字市之郷にあたり、姫路城の城下町の南東側周辺部に位置します。

市之郷という地名は、平安時代から鎌倉時代にかけて、当地に「飾磨の市」が立っていたことに由来するものです。

「枕の草子」をはじめとして、多くの和歌にもうたわれ、都にも知れ渡るほど大きな市であったようです。
市之郷遺跡全景 東上空から
調査地遠景 東上空から
市之郷遺跡の調査は、姫路市教育委員会によって第10次まで、兵庫県教育委員会によって第5次まで行われています。

今回の展示については、県営住宅建替工事に伴う県教育委員会の第3次調査分となっています。

当遺跡は市川右岸(西側)に形成された遺跡で、大きく西側の地区と東側の地区に分かれますが、今回は東側(日出町3丁目)の遺跡調査ということになります。

弥生時代後期末から古墳時代初頭の竪穴住居(たてあなじゅうきょ)、掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)などが見つかり、大量の土器が出土しています。

しかし長越遺跡のところで紹介した庄内式甕は1点も含まれていません。

讃岐や山陰地域の特徴をもつ壺や甕がみられます。

また、古墳時代初頭の12.6m×4mの掘建柱建物跡が見つかっています。

この時期の大型建物は例が少なく、何か特別な建物だったかもしれません。

調査地全景 東上空から
上の画像左下中央部の住居が使われなくなった跡に、一括して捨てられたと考えられる土器溜も見つかっています。

この土器溜では、壺、甕、鉢、高坏、器台が出土しています。

この夥しい土器片の出土位置、種類等を含む状況も、しっかりと調査しています。

土器溜土器
 復元すると、こうなりました。

土器溜出土土器

出土土器(土器溜以外)


古墳時代(須恵器・土師器)


狭い調査区でありながら大量の遺物が出土してきたため、担当調査員にとっては、工事日程に追われながらの必死の調査であったようです。

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