兵庫県南あわじ市北阿万伊賀野で発掘された
珉平焼窯跡(みんぺいやきかまあと)
江戸時代から明治・大正・昭和にわたり、やきもの失敗品が捨て続けられた
その資料の中には見慣れない「タイル」の生産に関わる品々もあった
それらを埋蔵文化財として位置づけ、発掘そして出土品整理が進められ報告された
とても窯跡出土品とは思えない鮮やかなタイルの品々
これらは江戸時代からの珉平焼を引き継いだ「淡陶(だんとう)株式会社」が生産したもの
製品の多くは海外向けに生産された輸出品
それらが今なお活きづくタイルを求めてシンガポールに渡った
プラナカン博物館
シンガポールはかつて田舎の漁村
しかし交易港として発展し、人々の交流がはじまる
「プラナカン」は
16世紀、マレー半島の女性と中国大陸の男性との間にうまれた混血文化
19~20世紀、人々は教育熱心で、政治や経済にも大きな役割を果たした
子供にはイギリスに留学させ、世界最新の文化を吸収し、タイル文化をもたらした
プラナカンの人たちはそれらを調査・研究し、
子孫にそして未来に伝えるためにこの博物館がつくられた
館にはパステルカラーの陶磁器やビーズ製品、織物などと共にタイルも・・・
プラナカンの人たちの色彩感覚にあったタイルが
戦前、日本で大量に生産されたタイルがシンガポール等に輸出され、建造物等に使用された
これらは全て日本製
淡陶(兵庫県淡路島)、不二見焼(愛知県名古屋市)など
表面が凹凸のある、エンボスタイル
シンガポールでは建築部材や美術骨董として流通しており
ミュージアムショップ等で販売されている
タイル裏側にはDKのマーク(淡陶株式会社のトレードマーク)
淡路島からはるばるシンガポールに渡ってきたのでしょう
エンボスタイルには淡陶のほかにシャチが向き合う「不二見焼合資会社」の製品も
ブレア・ロードに面する民家のファイブフットウェイ(軒先通路)にて
腰壁に床にタイルがつづく
(日本製か英国製かは不明:裏面未確認のため)
1920~1940年ごろにかけてシンガポールには日本製のタイルがあふれていました
今なお珉平焼窯跡で発掘されたタイルの兄弟たちが活きづいています
マリーナ・ベイ・サンズ
みなさんも一度
兵庫県立考古博物館で鮮やかなタイルを見て
珉平焼窯跡出土と同じタイルをシンガポールで見られてはいかがですかヽ(*’-^*)。
古いタイルの情報を集めています
下記まで是非ご連絡ください
深井明比古
akihiko_fukai@pref.hyogo.lg.jp