特別展「 動乱!播磨の中世~赤松円心から黒田官兵衛まで~ 」の見どころをご紹介する5回目です。今回は、三木市 三木城跡の遺物についてです。
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備前焼大甕(三木市教育委員会蔵) |
播磨の赤松氏支配の終焉
戦国時代になると、守護赤松氏の力は急速に衰えていきます。本拠地の播磨でも、中播磨では赤松一族の小寺氏が、東播磨では同じく一族の別所氏が自立し、赤松氏の領国はわずかに西播磨の支配権を保持するに過ぎなくなります。
別所長治画像 江戸時代 (原品:三木市 法界寺蔵/兵庫県立歴史博物館写真提供) ※展覧会では写真パネルのみ展示 |
別所氏の自立と滅亡―三木合戦
東播磨では別所就治(なりはる)が赤松氏からの自立を果たし、近隣を従えて東播八郡(美嚢・明石・加古・印南・加西・加東・多可・神東郡)を支配する戦国大名へと発展します。
しかし、就治の孫、長治(ながはる)の代になると、織田信長の命を受けた羽柴秀吉の播磨侵攻を受けることになります。
長治は2年近く三木城に籠城して果敢に抵抗しますが、「三木の干殺し」として有名な兵粮攻めによって、天正8年(1580)ついに秀吉の軍門に下り、別所氏は滅亡します。
なお、当館では先月、三木合戦を描いた「三木合戦絵図」の絵解きを行いました。
こちらの様子は、10月27日付けのブログをご覧ください
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三木城跡は、平成25年3月27日に、別所氏の居城三木城とそれを攻めた織田方の付城や土塁とともに「三木城跡及び付城跡・土塁」として国史跡に指定されました。
三木城の調査は、昭和56年の調査をはじめとして行われてきました。
特に、昭和56年度の三木市教育委員会による二の丸の調査では、甕蔵と呼ばれる備前焼大甕が並べて埋められている遺構が発見されました。
また、二の丸では、他にもL字状の内堀と土塁の痕跡、外堀、井戸、溝状遺構などが見つかっています。
さらに、本丸でも瓦葺礎石建物が見つかり、本丸の内部は堀で区画されていたことなどが明らかになっています。
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出土した甕倉 (三木市教育委員会写真提供) |
大甕は、十数個並べて埋められており、甕の製作年代は15世紀~16世紀と考えられます。
本展で展示している甕(冒頭写真)の肩部には「三入」とヘラ書きされていることから、米穀が三石(約540リットル)貯蔵されていたことがわかります。
本展では、大甕のほか、16点の遺物を展示中です。
本展では、大甕のほか、16点の遺物を展示中です。
青花磁器皿 (三木市教育委員会蔵) |
備前焼擂鉢
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碁石 (三木市教育委員会蔵) |
特別展は12月1日(日)まで開催中です。
会期、残すところあとわずか!
ぜひ足をお運びください!!
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