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講演会「溶岩で造られた石室-豊岡市 南構古墳群-」

8月5日(土)、夏季企画展関連講演会「溶岩で造られた石室群-豊岡市南構古墳群-」を開催しました。


講師は(公財)兵庫県まちづくり技術センターの山田清朝技術専門員です。

山田専門員は、本県で約40年間勤務してこられたベテランで、池田古墳(朝来市)や市之郷遺跡(姫路市)などの調査を担当してこられました。


今回は豊岡市(旧・日高町)の円山川流域の北部平野にある南構遺跡と、その調査で新たに見つかった古墳群についてお話しいただきました。


南構遺跡は縄文時代早期(8000年前)から室町時代にかけての集落跡です。
高速道路をつくることを目的に調査をしました。 

遺跡の多くは火山灰の積もった黒い層に覆われ、その下の黄色い層(基盤層)は溶岩を含んだ土石流でした。溶岩を含んだ地層を掘るのは固く、重かったそうです。

今回ご紹介する古墳群は、近年の田んぼに埋没していました。南構遺跡の土は黒いので遺構との境目が見つけにくく苦労されたとのこと。



講演では調査で見つかった11基それぞれの特徴を解説していただきました。


〈1号墳について〉

ひときわ大きい1号墳の墳形は、14×15mのほぼ円に近い形をしていて、40~50cmの石が並べられた外護列石がありました。石室は片袖式の横穴式石室で、この古墳群のなかでは最も新しいものです。


副葬品が石室の中ではなく、すぐ外側で見つかったことから、追葬が行われた際に取り出されたとみられます。

現在特別展示室に展示中の装飾付須恵器も、石室の外側で見つかりました。

(1号墳出土の遺物)


〈南構古墳群の特徴〉

・石室がすべて溶岩(玄武岩)でできている。

・但馬の古墳は山に多いが、この11基は珍しく平地で見つかった。

・古墳がいずれも遺跡の北側にあり、南側の居住域と分かれていた。=当時のムラと墳墓の構造がわかる貴重な例!

・1号墳以外は、竪穴系横口式石室であった。(竪穴式石室に入口を付けて追葬できるようにした石室のこと。)


〈出土品と、日本海を通じた交流について〉

南構古墳群では、出雲地方の製法でつくられた玉類が見つかっていますが、なかでも、蛇紋岩(じゃもんがん)のまが玉に注目されました。

蛇紋岩は、豊岡市近隣の養父市の中央を流れる八木川流域で採れる地元産の石材ですが、これも出雲の製法(片面からの穿孔)でつくられていました。

また、長野県の蛇塚古墳出土の鉄鏃(てつぞく)に酷似した鉄鏃も出土したことなどから、日本海を通じた他地域との交流があったと思われます。



〈追葬、竪穴系横口式石室について〉

「但馬には“アメノヒボコ”の例もあるので一概には言えないが」と前置きをしたあと・・・、

竪穴系横口式石室は朝鮮半島由来のものですが、韓式土器やカマドが見つかっていないことから、大陸から直接ではなく、副葬品の例にもあるように日本海交流を通じて北部九州などを経由して伝わったとみられます。


但馬には元々、1つの古墳に木棺や箱石石棺などの竪穴系の埋葬施設を複数つくる習慣があったので、追葬することはとても受け入れやすかったのではないか、と話されました。


*   *  *

講演会終了後、特別展示室において山田講師によるミニ講座も行われました。
皆さん、大満足のご様子でした。




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