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企画展関連講演会「壱岐の弥生時代-魏志倭人伝に記された一支国の世界-」

ついに始まった夏の企画展「壱岐の古代文化」。
開幕初日の7月20日(土)には講演会
「壱岐の弥生時代-魏志倭人伝に記された一支国の世界-」を開催しました。
講師は、壱岐市からお招きした松見 裕二学芸員
(壱岐市教育委員会社会教育課係長)。
長崎県・壱岐市立一支国博物館と当博物館との連携企画展となる
今展覧会の展示作業を行うため、
15日から兵庫県に滞在くださり、展示もご協力いただきました。
兵庫県からは450Km以上はなれた壱岐島の古代について、
詳しい話が聴けるとあって、会場には大勢のお客さまがスタンバイ。
期待がふくらみます。
はじめに、魏志倭人伝に記された一支国(いきこく)の記述について説明がありました。
今から1700年前に書かれた中国の歴史書には「一支」と記され、
わずか57字の記述ですが、一支国の位置や地形の特徴、人々の暮らしの様子など、
発掘調査ではわからないことが見えてきます。
隣国である対馬国との対比にも触れた後は、
いよいよ講演の中心となる、壱岐島における弥生時代を代表する4つの遺跡
(天ヶ原セジョウ神遺跡、カラカミ遺跡、車出遺跡群、原の辻遺跡)
についてのお話に移りました。
それぞれ立地や特徴が異なり、当時の一支国の繁栄がわかる遺跡とのことです。

なかでも一支国の中心と考えられる原の辻(はるのつじ)遺跡は、
規模が大きく、豊富な出土品が見つかっています。
今回の企画展のメインでもある遺跡の内容について、
弥生時代~古墳時代初頭までの特徴を詳しく解説いただきました。
海岸から1.5kmほど内陸にある原の辻遺跡は、中国・朝鮮大陸との交易の拠点で、
当時の人々は大陸から入手した製品を九州だけでなく日本各地の弥生人に引き渡すことで生活していました。
日本最古の船着き場も見つかっています。

弥生時代中ごろ(今から2000年ほど前)の環濠集落跡からは朝鮮半島のものと同じ特徴の土器が出土しています。
同じ時代には朝鮮半島で日本産の袋状の口縁壺が見つかった例もあることから、
海を越えての交流が盛んに行われていたことを知ることができます。
今回の企画展の目玉となる「人面石」が出土したのもこの原の辻遺跡です(弥生時代後期 2000~1700年ほど前)。
特徴ある顔立ちですが、祖霊祭祀の場で使用されたと考えられています。
この頃には近畿地方でつくられた特徴をもつ土器も見つかっており、
壱岐と交流していたことがわかります。

鍛冶文化の盛んなカラカミ遺跡は、
日本最古の鉄の地上式炉跡が見つかっています。

標高60~80mの山の上にあり、兵庫県淡路島の五斗長垣内遺跡を連想させますが、
中腰で鉄を作るそのスタイルから、朝鮮半島との交流がうかがえます。


今回の企画展で展示している中広形銅矛が出土した祭祀遺跡、
天ヶ原セジョウ神遺跡の紹介もありました。
これらの遺物は、ぜひ会場でご覧ください。

4世紀の中ごろ、原の辻遺跡の繁栄は終わりを向えますが、
時代は次の古墳時代へ移ります。

講演会終了後には、展示室で実物を前に解説いただきました。


次回の講演会は8月3日(土)、「畿内からみた弥生・古墳時代の壱岐」と題し、
 当館 和田晴吾 館長が講演します。
どうぞご期待ください。ご来場お待ちしております。

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