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ほったん 発掘現場へ出動(下滝野・奥瀬遺跡編)

お久しぶり!ほったんです。 今年 1 月に加古川市にある「山角廃寺」の発掘現場に行って、ボクの実力が認められたからか、また現場へのお誘いがあったよ。 こちらの発掘現場でも一般の人たちを対象に現地説明会があったんだけれど、ボクはその前日に行ってきたんだ。 えっ 一人だけ抜け駆けしてズルいって? いやいやボクは将来の館長候補だから当然だと思うけどね。エッヘン!   では、さっそくその時の現場の様子をご紹介! 今回もまちづくり技術センターの職員さんが説明をしてくれたよ。 現場は北播磨。加東市にある「下滝野・奥瀬(おくぜ)遺跡」というところだよ。 この場所は現在、滝野中学校がある場所で、ここに 2028 年春に小・中一貫校を開校する予定ということで、中学校の隣に小学校の建設を計画しているんだ。     (ほったん) おお、これがその遺跡!奥に見えるのが滝野中学校だね。今遺跡として発掘しているところはテニスコートだったらしいよ。 (職員さん)  やぁ ほったん。よく来たね。 ここは加古川中流域の西側の段丘上に立地する遺跡で、中世の遺構が見つかっているんだ。この広い土地には並行する2つの溝と直交する溝が見つかっていて、これは土地を区画する目的のものと考えられているんだ。 それから、石組の井戸や柱穴も見つかっていることから建物があり、人々が生活していた場所だったと想定されているよ。 さらに南側には水田もあったようなんだ。 なるほど、中世の生活がここで営まれていたんだ。 すごいなぁ~ ところで中世っていつ頃? ガクッ すごく感心していた割には年代はわからないんだね。 時代でいうと平安時代の終わり頃から鎌倉、室町時代で貴族から武士に政治の中心に変わっていった時代だよ。     いやぁ~。当然ボクは知っていたけれど、このブログを読んでいる人のために聞いたまでさ。  そんなことより早く説明してよ。     ハイハイ。まず、この校舎の方に続く大きな溝がさっき言った区画の溝になるんだ。この溝に並行する溝がもう1本あって、約 28 m先にその2本に直交する溝があって全体を四角く区画を構成しているんだよ。 そしてこの区画内に、炭窯(すみがま)や...
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発掘道具&現地説明会のご案内

10 月 11 日(土)に発掘調査成果についての現地説明会が加東市下滝野であります。 そこで今回は発掘現場で使う道具をいくつか紹介します。 こちらは昨年度に発掘調査を行った加古川市平荘町にある「山角廃寺」の調査現場です。 奥の方にトラック、ショベルカーなどの重機やベルトコンベアーも見えますが、今回ご紹介するのは最も身近な道具です。 まずは、地面を掘り進めるための道具類。 基本的に活躍するのは、土を掘り起こして遺構や遺物までたどりつくために使用するシャベル。 ちなみにこの呼び名は関西と関東では異なるようです。関西では大きいサイズのものをシャベル、小さいものをスコップと呼んでいますが、関東では正反対で大きいものをスコップと言います。なんかしっくりきませんね。 ただ、正式な呼び名があるようで、それは JIS 規格に定められていて、写真(左端)にあるように掘るときに足がかけられるものをシャベル、この直線部分がまるくなっているものをスコップとしています。 それから園芸用などとして片手で使用するスコップ、正式には「移植ごて」。この名称は確か小学生の時に理科の授業で習ったような覚えがあります。 この移植ごては繊細な作業の時に使うものですから、調査員・学芸員さんによっては自分用のお気に入りの❝マイ移植ごて ❞ を持っている人も多いようです。 なお、この辺りでは、大きいスコップを「大スコ」、小さいものを「小スコ」なんて呼んだりしています。 次は一般の人にはなじみの薄い「じょれん」。 先ほどの現場写真にもブルーシートの上に置いてありました。(分かりにくくてスミマセン)           じょれんは、漢字にすると「鋤廉」と書きます。文字通り鋤(すき)の一種のようで、現場では土をすくう時、土の表面を削る時、遺構を探すときにがっちりした厚みのあるものを使います。 それから、作業員さんたちの足元にあった土を入れるプラスチック製の大きなちり取りのような形をしているオレンジ色の物体。 これは「み」というらしいです。漢字にすると「箕」一文字です。 この「箕」という漢字は音読みでは「き」、 訓読みだと「み」または「ちりとり」と読むそうです。そのまんまでした。 あと、この現場では見かけませんでしたが、運搬用の一輪車。 こちらは「ネコ」と言います。そういえば猫車と呼んでいるのを聞いたことがあります。 な...

今年の「大中遺跡まつり」は10月開催

  いつもの年なら11月の第1土曜日に開催している「大中遺跡まつり」が、今年は1か月前倒しの10月4日(土) に開催されます。 昨年は荒天のため中止となってしまったため、残念な思いをした方も多いかと思います。 今回も【古代体験ブース】には、全国各地の博物館など多くの施設が大集合! 当館も子どもから大人まで楽しめる、いろんな古代体験をご用意しています。 参考に当館関係の古代体験は、 〇 考古博物館    「石斧で丸太を加工するゾー!」 当館で復元した石斧で丸太を加工します。   考古博物館加西分館 古代鏡展示館    「龍の冠つくり」 中国古代鏡をモチーフに、紙で龍の冠を製作します。 〇 ひょうご考古楽俱楽部    「土器製塩体験」 土器にかん水を入れて火にかけ、塩を取り出します。   「ガラス勾玉研磨体験」 ガラスまが玉を研磨して、きれいに磨き上げます。   「自然素材でハンカチ染色」 絹ハンカチを自然の素材で染色します。   「いろいろな木のコマで遊ぼう!」 様々な木製のコマを廻して楽しんでいただきます。   「紙芝居上演」 考古楽倶楽部による 紙芝居を上演します。 〇 兵庫県まちづくり技術センター(発掘調査や当館地階で出土品の整理作業などを行っています。(バックヤード見学ブースから作業の様子が見えるね))    「大中遺跡AR写真館&ペーパークラフト」 高所撮影ポールに取り付けたカメラを通して、体験者が大中遺跡の中にいる写真を撮影します。また、ペーパークラフトも作製します。 〇 弥生時代の衣装、 貫頭衣(かんとうい)を着て写真を撮ろう ! などなど初めての体験や普段の古代体験からさらにパワーアップしたものまで準備しているのでお楽しみに! それから、既にご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、 あの万博の公式キャラクター「ミャクミャク」も登場するようです。 そのミャクミャクのあまりの人気にショックを受けている約1名(キャラ) そして、すっかりいじけてしまいました・・・ 立ち直ってくれ「ほったん」!! でも、当日までには気分を切り替えて登場してくれると思います。もし出会ったら応援してあげてください! 当日、館内は秋季特別展も含めて無料開放です! 「播磨の考古学-今里幾次の弥生と瓦と駅家研究-」この機会にぜひご覧ください。  

第6回kid's考古学新聞 応募開始!

   当博物館の渡り廊下に、全国の小学生たちが遺跡や出土品などをテーマに作成した壁新聞を展示しています。ご覧になられた方も多いのではないでしょうか。 これはkid's考古学研究所というところが主催している「kid's考古学新聞コンクール」の入賞作品を全国各地の博物館で展示するというイベントです。 令和2年度から始まり、今回の展示で第5回を迎えました。 実は兵庫県立考古博物館での展示は6月29日までの予定でしたが、よりたくさんの方々(特に子供たち)にご覧になっていただきたいということから、展示期間を延長して夏休み期間中の7・8月にも展示をしていました。 この第5回コンクール入賞者の中には、なんと兵庫県内からの応募作品が2点も含まれています。 明石市内の小学生が興味のあるテーマについて掘り下げた内容で、レイアウトや色遣いにも工夫が見られます。 以下にご紹介します。 〔5・6年生の部〕入賞作品 こちらは装飾品に焦点をあてて、縄文・弥生・古墳時代の人々の髪飾りや腕輪などのアクセサリーについて素材や作り方について丁寧に解説してくれています。また、イラストもとっても上手に描かれています。 〔チャレンジ応募の部〕1~4年生 入賞作品 「じょう文人は何をたべていたのか見よう」という副題で、魚や木の実などについて季節ごとにどのようなものが食べられていたのか、一目で分かるよう工夫したレイアウトになっています。4コマ漫画もあって楽しい紙面になっています。 この新聞コンクールの次回の申し込みが始まります!         【第6回 kid's考古学新聞コンクール】                  募集チラシ         応募用紙 応募期間は9月1日(月)~30日(火)の一か月です。(郵送またはメール) 小学生の皆さんはぜひ、挑戦してみてください。 渡り廊下の壁新聞も9月末までは引き続き展示していますので、それらを参考に入賞を目指してください!   

今年の夏季企画展はコスパがいいね!

ここ数年の夏季企画展では、①前年度に兵庫県教育委員会が実施した発掘調査の成果、②同年度に刊行した報告書掲載の資料、などを展示していますが、 今年度はそれに加えて、③丹波地域の弥生土器、④加西分館「古代鏡展示館」の逸品、も紹介しています。   ひと つの展示会で4種類の展示が楽しめるお得な企画となっています。   そこで、今回のブログは④「古代鏡」にスポットを あててみました。  まず、古代鏡は何でできているのか。  ガラス? 確かに現代では透明なガラスに銀を貼り合わせて作るのが基本ですが、古代の鏡は、銅に錫(スズ)、鉛などを混ぜた合金でできています。金属に映すという意味では今も古代も同じですね。  アレ? 同じような合金で作られた展示品って最近目にしませんでしたか?  そうです。春季特別展で主役となっていた銅鐸と同じ「青銅」という 合金 でできています。  ですからこれらの鏡は「青銅鏡」(通称「銅鏡」)と呼ばれていて、年月が経過すると銅鐸のように青サビ(緑青:ろくしょう)により緑色になってしまいます。 (ちなみに古代の鏡は紋様のある面の裏側で映します)                                  環状乳神獣鏡  たまに、来館者の方から 「どうしてサビをそのままにして展示するのか? きれいに磨かないのか?」 といった質問を受ける時があります。  その答えは「資料の破壊につながる」のと、「緑青には良いサビもある」からです。  緑青は、サビの原因である酸素や水分、二酸化炭素などが銅合金に触れ、金属の表面に発生しますが、このサビが被膜を形成することによって金属内部を腐食から保護する効果が期待できるのです。緑青に覆われた屋外の古い銅像が朽ちてしまわないのはこのためです。  同じサビでもブロンズ病と呼ばれる悪いサビは、腐食、崩壊を進めるため、削り取ってしまう場合もあります。  それから、全面を きれいに ピカピカに磨いてしまうより、サビが進んだものを好むといった 日本人の特有の感性 があることも一因でしょう。まさに侘び寂び(わびサビ)の世界です。  さて、このような青銅の鏡を作りだしたのは古代(紀元前2,000年頃)の中国で、その後、弥生時代になって中国や朝鮮半島から日本に伝えられました。    以下は、常設展示室にあ...

七夕と鏡と旧暦

    7月に入り、考古博のエントランスホールも七夕バージョンに衣替えです。 7日は七夕。彦星(ひこぼし=牽牛(けんぎゅう))と織姫(おりひめ=織女(しょくじょ))が天の川を渡り、年に一度合うことが許されている日です。 このとき、天の川に橋をかけ、二人の出会いを助けるのが「鵲(じゃく)」、すなわちカササギという鳥です。 この伝説は中国のものですが、古代の日本人にも知られた有名なお話だったようで、 「かささぎの わたせる橋に おく霜の 白きをみれば 夜ぞふけにける」 (奈良時代の歌人「中納言家持」)という歌の存在からもうかがえます。 カササギというと宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にでてきた覚えはあるけれども、実物を見たことがあるという人は恐らく少ないのではないでしょうか。調べてみると九州方面に多く生息しているようで、佐賀県の県鳥にもなっているようですが、全国的な繁殖はしていないようです。    実物のカササギを見ることは難しいかもしれませんが、カササギが表された中国の鏡なら、見ることができます。 その鏡は加西分館「古代鏡展示館」に保管されているので、ぜひこの機会を利用して、ご紹介したいと思います。 鏡(背面)の左右に配置されている鳥がカササギです。  「月宮双鵲銜綬龍濤紋八花鏡(げっきゅうそうじゃくかんじゅりゅうとうもんはっかきょう)」(唐の時代)【 加西分館「古代鏡展示館」 所蔵】   名称を説明すると、 ①<月宮>(げっきゅう) 月(円の中にウサギ・カエル・桂樹がある)の紋様 ②<双鵲銜綬>(そうじゃくかんじゅ) 向かい合うカササギが、鈴付きの紐(綬=じゅ)をくわえている紋様 ③<龍濤>(りゅうとう) 波しぶきを上げて飛翔する龍の紋様  の3種の紋様があり、 ④<八花鏡> 鏡の外形が八枚の花弁のような形をした鏡   となります。   中国では、カササギは男女の仲をとりもつおめでたい鳥と考えられていたようで、特に唐の時代に鏡の紋様として流行しました。左右に向かい合う対鳥形式は、幸せな恋愛や夫婦生活を願ったものとされています。 恋愛の成就を願い、夫婦円満に過ごすことができるよう、鏡に顔を映しながら化粧をした想いは、今よりもず...

銅鐸の展示について

   春季特別展「弥生の至宝 銅鐸」も残すところ、あと1週間あまりとなりました。 たくさんの方々にご来館いただきありがとうございます。 今回は展示室での観覧とともに、「銅鐸を鳴らしたら実際にどのような音が鳴るのか」という体験コーナーも設置しました。 また、週替わりで銅鐸の中の舌(ぜつ)を金属製、石製・・と付け替えていたので、その微妙な音色の違いを実感された方もいらっしゃるのではないでしょうか。 ところで、銅鐸の使用方法や用途についてはまだまだ謎の部分も多いですが、村の祭祀、おまつりの時に使用していたと考えられています。 こちらが、当館のテーマ展示室で、お米が無事に育つように大自然の怒りを和らげるため神に祈っている巫女(みこ)と銅鐸を再現した様子です。            実は、この展示方法は数年前に変更されたものです。 それまでは、左の写真のように銅鐸を手に持っていました。しかし今では、手には何も持っていません。               (改修前巫女写真+現在の巫女写真) ではなぜ、このように展示方法に変更があったのか。 それは、平成27年に南あわじ市で発見された「松帆銅鐸」が深く関係しています。 発見当時、松帆銅鐸は中に舌(ぜつ)と呼ばれる金属棒が入った状態で埋められており、上部の穴と鈕(釣り手)部分に植物繊維やその痕跡が残っていました。 それが証拠となり、銅鐸は、吊り下げられた舌が銅鐸内面にぶつかることで、音を出していることが明らかになったのです。これまでも銅鐸は鳴らすものと想定されていましたが、金属舌を伴う例は数少なく、紐状の繊維が見つかったのも初めての事でした。 この成果をもとに、当館では銅鐸の埋納状況を表す展示から、銅鐸の使用状況に重点を置いた展示、つまり紐で固定された銅鐸を打ち鳴らすことのできる展示に変更したのです。 展示の世界では、新たな資料の発見により、これまでの解釈に変更が生じ、展示方法を再検討するケースがあります。まさに今回がそのケースでした。 ところで、今朝、新聞を読んでいると「仁徳陵 唯一の副葬品確認」という記事が載っていました。内容を読んでいくと❝大山(だいせん)古墳❞との名称で記事が書かれており、注釈の地図には大山古墳(仁徳天皇陵)となっていました。 昔、授業で教わった❝仁徳天皇陵❞が知らないうちに❝大山古墳❞に名称が変更さ...

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