スキップしてメイン コンテンツに移動

ほったんのなぜなぜ?教えてコーナー⑦ 米づくり

 

(ほったん)

縄文人の主食が肉や魚じゃなくて、植物、木の実だったという話には驚いたよ。
 縄文人というと最初に展示室で見た、弓矢などを持って狩りをしている印象が大きいからね。




(学芸員)

そうだね。やはり狩りはうまくいく時もあれば、失敗する時もあるから、植物、木の実の方が安心できるからね。縄文時代は気候も暖かかったから、木の実もたくさんとれたんだ。


(ほったん)

でも、木の実が育つのを待つより、自分で育てるようにすれば、もっと安心して過ごせたんじゃないかな。

弥生時代になれば、お米が食べられるようになるのに残念だね。

 

(学芸員)

そうだね。でも実は縄文時代でも栗などの植物がよくできるように管理したり、ヒョウタンなどの有用植物の栽培もしていて、お米も食べられていたようなんだ。

(ほったん)

そんなはずないよ。縄文人は狩猟民族、弥生人は農耕民族って聞いたことがあるから、縄文時代に米づくりはしていないよ。

 

(学芸員)

以前はそのように学校で勉強してきた人もいるけど、その後の研究で変わってきているんだ。

そもそも、稲作についての発見は静岡県の登呂(とろ)遺跡の存在が大きいんだ。

太平洋戦争中の昭和18年、軍需工場の建設時に、土の中から土器や農具などが偶然に見つかり、戦後になって本格的に調査した結果、多数の住居や高床倉庫、水田跡が発見され、弥生時代後期(約2000年前)の稲作を中心とした集落(登呂ムラ)の姿が明らかになったんだ。

この大発見で、戦後考古学の先駆けとなった遺跡であることが評価され、弥生時代の遺跡としては初めて、国の「特別史跡」に指定されたんだよ。

でも、その後、九州の福岡県や佐賀県にある縄文時代終わり頃の遺跡などから木製の農具やイネのモミ痕、プラントオパール(葉の細胞にできるガラス質のもの)、それに小さな水田跡が発見されたんだ。

これらの発見により、弥生時代よりも早い時期に大陸から稲作が伝わっていたことがわかったんだ。

ただ、現代から見ると「縄文」とか「弥生」として区別しているけれど、当時の人々が「私は縄文人」と意識していることは無いから、ここまでは縄文時代でここからは弥生時代という線を引くのはなかなか難しいんだ。


(ほったん)

そうだったんだ。今研究結果では、稲作は弥生時代よりも前から行っていたということなんだね。

やがて、水田稲作が全国的に始まって定着し、弥生時代になるということか。

田んぼに水を入れて育てるなんて、知識や技術がないとなかなか難しいんじゃないかな。



(学芸員)

そうだね。お米をつくるためには、まず土地を耕し、水が適度な深さに貯まるように畦や水路をつくらなくてはいけないから大変だったろうね。



そのためには新しい道具が必要になるので、その道具をつくるために、いろいろな種類の石の斧が使われたんだ。



堅いアカガシの柄に重い石を取り付けた斧(おの)は大きな木を切り倒すためのもの。

そして、その木を加工するために扁平片刃(へんぺいかたばせきふ)柱状片刃(ちゅうじょうかたばせきふ)といった斧ができたんだ。扁平片刃石斧は今のカンナのように、木を削るためのもので、柱状片刃石斧は大小様々な大きさのものがあり、木を細かく削ったり、穴をあけたりするのに使われていたんだ。

このような道具を使って、木のスキやクワをつくっていたんだ。



(ほったん)

そうか、イネがあっても道具がないと米づくりはできないもんね。

水田で使ういろいろな道具や、その道具をつくるための道具は、縄文時代にはなかったけれど、朝鮮半島から来た人たちが米づくりの技術といっしょに道具づくりを伝えてくれたお陰で稲作が本格的に始まったということだね。

これからは、その人たちにも感謝しながらご飯を食べないといけないね。



このブログの人気の投稿

あなたは縄文人? 弥生人?

人の顔形はさまざま! 顔の輪郭、髪の毛、眉の形、目・まぶた・鼻・口の形は各人ちがいますが、 これらのパーツも縄文人に多い形、弥生人に多い形があります さて、あなたは 縄文人? 弥生人? まずは「自分の顔をつくってみよう」 縄文顔:四角い顔、太い眉、どんぐりまなこ、二重のまぶた、広がった鼻、分厚い唇、毛深い 弥生顔:面長顔、細い眉、切れ長の目、一重のまぶた、小さな鼻、薄い唇、ひげが薄い まず自分の顔をつくってみましょう これらのパーツをつかって・・・ 自分の顔をつくってみましょう そして、左のページを持ち上げ、右の顔に被せるように折りたたみます そして開いてみると 左に顔が移りましたが、 緑 と 橙色 のパーツに 緑は縄文人 橙は弥生人 各パーツが混じっています 現代人は 縄文人的な要素 と 弥生人的要素 が混じっているのです。 中国大陸や朝鮮半島などから各時代に渡来し、混血し、今の日本人になったと考えられます 「自分の顔をつくってみよう」 は 考古博テーマ展示室「人」のコーナーにあります 是非自分の顔をつくって、試してみてください!

須磨駅家はあっちかな?

ただいま開催中の 風土記1300年記念特別展・阪神・淡路大震災20年展 「古代官道 山陽道と駅家(うまや)ー律令国家を支えた道と駅ー」 神戸市須磨区に所在する 福祥寺(須磨寺) 古代山陽道 はこの寺の南方の海岸沿い 又は妙法寺や大山寺付近を通るルートが考えられています 須磨駅家は大田町遺跡も候補地であり、福正寺奥の院から望んでみました 福祥寺奥の院から高野山方向を望む (須磨駅家は手前の家並み付近か) JR須磨駅方面から参道を北にすすんで、龍華橋を渡れば 「仁王門」 堂々とした 八脚門 駅家の正面の門も八脚門です この門には 鬼瓦が さらにすすむと 唐門付近からみる本堂 ここにも いたるところに 「鬼瓦」 山陽道の駅家の発掘でも鬼瓦が出土しています このように使われていたのでしょうね 宝物館では源平ゆかりの宝物や歴史的遺物が展示されています 県指定文化財の「鰐口」(わにぐち) 貞治5(1366)年銘 鰐口は本堂正面の軒先上部に吊り下げて打ち鳴らす仏具 ♪宝物館前には考古博のパンフレットも掛けられていました!ありがとうございます♪ 旧海岸線沿い、古代山陽道が通り、 須磨駅家は前方付近にあったのでしょう 皆さんも古代山陽道や沿線の歴史文化遺産を訪ねてはいかがですか 風土記1300年記念特別展・阪神・淡路大震災20年展 「古代官道 山陽道と駅家(うまや)ー律令国家を支えた道と駅ー」 好評開催中(6月22日まで) 【お知らせ】 5月10日(土)13:30~15:30 (12:50から整理券配布予定) 特別講演会 「古代の山陽道と瀬戸内海の交通」 松原弘宣(愛媛大学名誉教授) 古代の交通史に関する多数の論文を執筆されています! ご期待ください!

蚕起食桑?

草木が茂り、万物の生気が満ち始めるこの頃を、二十四節気で「小満」といい、その最初の5日間を「蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)」と呼ぶそうです。 考古博の芝生広場には桑の木があり、葉が盛んに茂っています。 蚕が食べるのはヤマグワの葉らしいですが、この桑の木はマグワです、たぶん。 人には葉は食べられませんが、実が食べられるのはもう少し先みたいですね。 雨もそろそろあがりそう。新緑の考古博もお楽しみ下さい! 特別展講演会のご案内 5月24日(土)13:30~15:00(入場券配布12:50予定) そこのけそこのけ駅馬(はゆま)が通る」 馬場 基(奈良文化財研究所) 風土記1300年記念特別展・阪神・淡路大震災20年展 「古代官道 山陽道と駅家(うまや)ー律令国家を支えた道と駅ー」 6月22日(日)まで開催 詳しくは考古博ホームページをご覧ください http://www.hyogo-koukohaku.jp/

過去の記事一覧

もっと見る