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9月 8, 2019の投稿を表示しています

田んぼの稲穂 もう少しで収穫です

赤とんぼに誘われて、当博物館が稲を育てている田んぼへ、 稲の成長具合を見に行ってきました。 6月中旬に播磨町立蓮池小学校の5年生と 植えた稲 はぐんぐんと成長し、 穂をつけています。 今年は5種類の稲を植えました。 上の写真のうち、手前から順に…赤い穂の「対馬赤米」、黒い穂の「壱岐黒米」、 背の低い「ヒノヒカリ」、「ハリマモチ」、 そして一番奥の赤い穂が「総社赤米」です。どれも大きくなりました。 古代の稲に近い品種は、現代米のヒノヒカリと比べて20~30cmほど背が高いです。 草丈が高いと雨風の影響を受けて倒れやすいため、 弥生時代から現代へ至るまで、背が低くなるように改良されてきました。 では、稲穂に近づいて見てみましょう。↓↓ これは対馬赤米の稲穂。 長く赤い芒(ノギ=籾から伸びたヒゲのような部分)が目を惹きます。 壱岐黒米も背が高く、直立に近いです。 隣の対馬赤米に比べると大粒の実をつけています。収穫までもう少し、かな。 こちらはヒノヒカリ。稲穂の重みで頭を垂れています。 大きな実を、たくさんつけるように改良された現代米らしい姿です。 ハリマモチも順調に実をみのらせています。 草丈は隣りのヒノヒカリとほぼ同じですが、緑色が深いかな? 最後は総社赤米。隣の岡山県で生まれた品種です。 こちらも対馬産と同じくノギが赤く、古代米らしい佇まいです。 *  *  * もうしばらく田んぼで育てて、10月中旬には稲刈りをする予定です。 その様子もこのブログでお伝えできればと思いますので、 どうぞお楽しみに。 また、9月14日の講演会 「酒づくり今むかし-赤米酒を造ってみて-」は、 赤米に関連する講演です。 古代米に興味がある方は、ぜひ聴きにきてください。 お待ちしております!

兵庫考古学研究最前線2019「飛鳥時代の播磨の食器」

残暑が厳しく、なかなか実感はないのですが、暦の上では「芸術の秋」。 当博物館では、連続講演会「兵庫考古学研究最前線」を毎年お届けしています。 注目の発掘調査や最新の研究の成果など兵庫県内の考古学情報を、 いち早く、わかりやすくお伝えしようとする取り組みです。 *   *   * 令和初めての第1回は9月7日(土)、 「飛鳥時代の播磨の食器」と題して 当博物館の新田宏子学芸員を講師に 開催しました。 当日は夏の名残が色濃い猛暑でしたが、大勢の方にご参加いただきました。ありがとうございます。 テーマである飛鳥時代は、今から1400年前の7世紀。 ちょうど古墳時代が終わって、天皇中心の国づくりが本格化する時代です。 その時代に使われた土器「須恵器(すえき)」から、古代の歴史を読み解く内容でした。 まず、最初に須恵器とはなにか?から説明が始まりました。 須恵器は5世紀ごろから日本で普及します。ロクロによる成形や窯で焼くなど、 朝鮮半島から持ち込まれた技術で作られました。 野焼きの土器とちがって、硬く水漏れがしにくいことから、広く使われました。 播磨には多くの窯跡があり、須恵器の産地として知られていたことが、 当時の記録からもわかるとのこと。 7世紀の播磨地域の窯跡の分布と、遺跡で見つかる須恵器の特徴について紹介がありました。 播磨で作られた土器と、当時都があった飛鳥宮跡・難波宮跡で出土した土器と比較、 その特徴や移り変わりについて整理されました。 特に7世紀の後半に飛鳥地方では、播磨産の須恵器が数多くみられると指摘がありました。 また7世紀代の土器の移り変わりが明確にできたことで、播磨における古墳の終わりや、古代の寺・役所の登場する時期、同じ時代の遺跡同士のつながりを明らかにできる、と今後の展望も述べられました。 その一例として、現在当博物館で研究活動を続けている、古代の道路に置かれた「駅」の整備時期について触れられ、土器から古代山陽道の敷設は7世紀の中ごろと考えらえる、とのことです。 今後の研究にも期待が高まります。 講演終了後には、7世紀の窯跡の一つ、白沢

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