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11月 5, 2023の投稿を表示しています

#自宅でも考古博38 今に続く駅鈴のものがたり

  駅鈴(えきれい)とは 現在、当館では令和5年度秋季特別展「駅家発掘!-播磨から見えた古代日本の交通史-」を開催中です。 展示品の一つに、駅鈴(玉若酢命神社所蔵、国重要文化財)の模造品(姫路文学館より借用)があります。 駅鈴とは、鈴のように音が鳴る通行手形のようなもので、飛鳥~奈良・平安時代に使われました。公的な用務で全国各地に出張する際に携行し、駅鈴を持っていると、専用道路(駅路:えきろ)が使え、一定間隔に設置された駅家(うまや)で馬を乗り換え、休憩、宿泊し、随行者(駅子:えきし)まで付けることが出来ます。 内乱(壬申の乱など)の際、駅鈴は交通権の掌握につながるものとして戦略上重要視されるなど、権力を象徴するものでもありました。朝廷によって厳重に管理されていて、令(法)の規定によると、兵庫県内では、摂津国・播磨国・但馬国・丹波国には 3 口、淡路国には 2 口の駅鈴がそれぞれの国の役所(国府)に備えられていました(養老令諸国給鈴条)。 現在は島根県の隠岐島に鎮座する玉若酢命(たまわかすのみこと)神社が所蔵されている2口のみが知られており、国重要文化財に指定されています。 昭和51年(1976)に発行された20円はがきの切手デザインにこの駅鈴が採用されているので、ご存知の方も多いかと思います。   松阪市の駅鈴 ところが三重県松阪市には、JR松阪駅の駅前に大きな駅鈴のモニュメントが設置され、マンホールのデザインにもなるなど、市を挙げて駅鈴を「推し」ておられます。なぜ、島根県の駅鈴が三重県で推されているのでしょうか。 その理由は、今から 230 年ほど前のことになります。   江戸時代の国学者として知られる本居宣長(もとおりのりなが)は、享保 15 年 (1730) に現在の松阪市に生まれました。彼の学問に憧れた浜田藩(現島根県浜田市)の藩主、松平康定(やすさだ)は伊勢神宮への参拝途中に宣長と対面し、念願の講釈を受けることになります。自らの書斎や屋号を「鈴屋(すずのや)」とするなど、宣長の鈴好きは知られていたことから、康定は隠岐の駅鈴の模造品を鋳造し、宣長への贈り物としたのでした。 本居宣長にとっても、お殿様からいただいた駅鈴の模造品は特別な宝物であり、大切に保管されたため、現在も本居宣長記念館(松阪市)で見ることがで

大中遺跡まつり

 11月4日(土) 青空の下、かつ3連休の中日という絶好の条件の中、第31回大中遺跡まつりが開催されました。 今回から飲食ブースも復活し、ステージ・古代体験・PR・飲食・物販とフルサイズでの催しとなりました。 オープニングセレモニーの後、KIRARAによる古代ダンスから幕開けしましたが、大勢の人でなかなかステージまで近づけません。 飲食ブースも大賑わい。29店もの出店があり、キッチンカーにもたくさんの行列が並んでいました。 考古博物館もひょうご考古倶楽部の皆さんと一緒に塩づくりやまが玉の研磨、紙芝居などいろいろな古代体験で参加しました。                  独楽(コマ)廻し道場 こちらは県立兵庫津ミュージアムの「兵庫の生州(いけす)で釣り」魚釣りゲームです。 博物館内でも他府県の博物館や当館の加西分館、まちづくり技術センターなどの出展があり、埴輪ストラップや本のしおりづくりなど、たくさんのご家族が挑戦されていました。                  龍の冠づくり これは、何でしょう? 答えは「靴下パペット(指人形)」だそうです。オリジナル作品を作るとのことでした。 当館への入館者だけでも3,600人を超える盛況ぶりでした。コロナ禍からの脱却を肌で感じられる楽しいイベントになりました。 ※今月の18日(土)・19日(日)は「関西文化の日」として常設展は無料となっています。  ぜひ、この機会も利用してお越しください!  もちろん、この日以外でも大歓迎ですよ。

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