スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

8月 22, 2021の投稿を表示しています

夏季企画展 閉幕まであと一週間 お早めに!

  夏季企画展「淡路島発掘」も終盤に近づいてまいりました。淡路島の出土品が勢ぞろいする機会はあまりありません。展示内容をご紹介いたしますので、お見逃し無いように。   展示は、5部で構成されています。1番目は、 狩猟の時代から農耕の時代 です。淡路島の歴史の幕開けとなる約2万年前、旧石器時代のサヌカイト製のナイフ形石器などが展示されています。サヌカイトは大阪府の二上山や香川県の坂出市周辺で産出され、中間に位置する淡路島では両方から供給されたようです。  有舌尖頭器(ゆうぜつせんとうき)です。〔左から、淡路市の横入(よこいり)遺跡、洲本市の喜住西(きじゅうにし)遺跡、南あわじ市の楠谷(くすたに)遺跡〕 縄文時代草創期の刺突具で、柄の先に取り付けて狩りなどに使用していたものと考えられています。  2番目は、 マツリの源流 です。マツリの道具には赤い色が多く用いられ、水銀朱を精製する道具(石皿・石杵)が出土しています。また、弥生時代には金属が用いられるようになり、銅鐸や銅剣、鏡などの青銅器がマツリのシンボルになりました。  洲本市の下加茂遺跡出土の横杓子(よこじゃくし)です。朱色が塗られていた痕跡がわかります。出土時は鮮やかな朱の色が残っていました。  古津路銅剣(南あわじ市)のうち、弥生時代中期の中細形銅剣(1号銅剣)の複製品です。現品は国立歴史民俗博物館にあります。右下は、弥生時代後期の小形仿製鏡(内行花文鏡)です。これらがマツリに使われました。  3番目は、 海をはさんだ交流と新しいマツリ です。弥生時代後期から終末期は大阪湾対岸の河内地域や四国の阿波地域などと共通の特徴を持つ土器が使われ始めました。周りを海に囲まれた淡路では、この時代から海を介して色んなものを船で運んだのでしょう。   古墳時代になると、焼き物や金属加工等の新しい技術が大陸からもたらされ、生活様式が一変し、それに伴いマツリの形態も変化しました。右の子持勾玉〔南あわじ市、雨流(うりゅう)遺跡〕もそうした背景を物語る出土遺物の一つです。  4番目は、 淡路国成立とマツリゴト です。律令制が導入された7世紀後半以降、全国で国府や国分寺、それらを結ぶ官道の整備が進みます。淡路国分寺(南あわじ市)は8世紀中頃の創建で創建時の瓦が紀伊国分寺と同じ型から作られたものであり、南海道沿いに国家の施策が進められたこと

過去の記事一覧

もっと見る