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11月 20, 2022の投稿を表示しています

講演会「刻画文陶器と中世のやきもの」

開催中の秋季特別展「丹波焼誕生-はじまりの謎を探る-」に関連しての講演会が開催されました。   講師は、当館の松岡千寿学芸員。特別展の担当者で、焼物を専門とし、特に丹波焼の研究をライフワークにしています。今回の特別展のテーマ、 “ 丹波焼のはじまり ”について、 その謎を長い間探ってきました。 【丹波焼とは】 兵庫県丹波篠山市今田町立杭で生産されたやきもの。歴史は古く、中世から現在まで生産が続く代表的な六つの産地の一つで、常滑、信楽、備前、越前、瀬戸とあわせて日本六古窯 ( こよう ) と命名され、日本遺産にも認定されています。 立杭焼、陶の郷 ( すえのさと ) と聞くと、皆さんにも馴染みがあるのではないでしょうか。 現在も 60 件の窯元が生産を続けており、生産から販売までを各窯元で行っている家内制手工業の体制は、丹波焼の特徴なのだそうです。 【丹波焼のはじまり】 須恵器は 平安時代になると、全国的には衰退していきましたが、丹波焼以前の地元周辺を見ると、播磨では、より須恵器の生産が活発になり、日常雑器の他に京都の寺院に用いる瓦も生産していたようです。 尾張国 ( 愛知県 ) の猿投 ( さなげ ) 窯では、平安時代初め頃から、須恵器から発展した緑釉陶器や灰釉陶器を生産するようになったとのこと。 その後、渥美窯、常滑窯、瀬戸窯では、灰釉陶器の流れをくむ瓷器系陶器(しきけいとうき)が生産されるようになりました。 そして、兵庫県内でもそれらの国産陶器が使われ始め、やがて生産が始められます。はじめに見つかった西脇市の緑風台窯跡では、窯の薪を焚く部分の中央部に柱(分焔柱)がみつかりました。この窯の構造は東海地方の陶器窯の技術が用いられているのではないかと考えられるそうです。この窯では、高級な陶器の生産が行われたようですが、長くは続かなかったのこと。 【丹波焼誕生】 昭和 52(1977) 年に行われた丹波篠山市の三本峠北窯跡の発掘調査は、窯跡本体ではなく、窯の下のゴミ捨て場(灰原)の調査で、鎌倉時代前半の常滑焼に類似する甕、渥美焼などに知られる絵が描かれた壺の陶片(刻画文陶器 :こくがもんとうき)が発見されました。多くが失敗品だったようですが、三本峠北窯跡は緑風台窯同様、瓷器系の窯業技術で生産されたと考えられ、それらの地域から工人が来訪し、技術の伝搬が行われた可能性が高い

古代体験講座「古代人の生活体験―挑戦!弥生の昼ごはん―」

11月13日(日)、古代体験講座「古代人の生活体験―挑戦!弥生の昼ごはん―」を開催しました。 今回のメニューは、特製古代スープと赤米入りのごはん。当館のボランティアさんが作った弥生土器を、鍋として使ってつくります。 天候がよければ、屋外の竪穴住居跡の遺構で古代体験をしていただく予定でしたが、この日は雨。開始時間まで空の様子をみていましたが、雨の日用の室内中心のプランで行うことにしました。 ではスタートです! 最初にスープの材料を切ります。今回の材料は、白菜、ねぎ、シイタケなどのきのこ類、鶏肉などです。 弥生時代と同じ石製のナイフで、野菜や肉を切っていきます。 この石器は、学芸員やボランティアの皆さんがつくったもので切れ味バツグンです。皆さん、手を切らないように注意してくださいね。 切った野菜や肉を、土器の中へ入れます。「煮るときは、お肉が下の方がいいかなぁ?」楽しそうな声が聞こえます。 準備ができた人から順番に、部屋の外へ移動します。 少しでも古代人の気分に近づいていただけるようにと、竪穴住居が見える当館の軒下で煮炊きをしていただきました。 コンロに土器を置いて、石で固定して…スイッチオン! となりでごはんを炊きますよ。上手に炊けるかな? スープとごはんを火にかけている間に、「古代の火おこし」を体験していただきました。雨のため木が湿って火種が出来にくい状況でしたが、なんとかつきました。 こうやって起こした火に、薪をくべて火力を保ちながら、煮炊きをしたんですね。 食器の準備も忘れずに。博物館でつくった竹のお箸と器です。 家族みんなの分を机の上へ用意して、お昼ごはんの出来上がりを待ちましょう。 お昼の12時になったころ、スープができました!ほかほかと湯気があがっています。こぼれないように、注意して注いでくださいね。 ごはんも上手に炊けました。色の違う米粒が赤米です。 竹の器に盛りつけて、完成です! 古代人もこんなお昼ごはんを食べていたのかな。(梅干しはなかったと思いますが・・・) スープに入れた調味料は塩のみでしたが「きのこや鶏肉のお出汁がよくでていて、美味しかった」と好評でした。 お昼ごはんを食べ終わったあと、参加者の皆さんには、小さな臼と杵を使った脱穀体験などを楽しんでいただきました。 古代人の生活体験、いかがでしたか? ほかにもいろんな古代体験講座があります。 こ

津門大塚町遺跡の発掘調査現地説明会

 11月13日(日)に西宮市津門大塚町にて、津門大塚町遺跡の発掘調査現地説明会を開催しました。  津門大塚町遺跡は、アサヒビール西宮工場の解体に伴って行われた西宮市による調査で存在が明らかとなった遺跡で、これまでの調査では、古墳時代から近世まで、長期にわたって集落が営まれていたことが確認されています。 【ドローン全景写真(調査地と周辺の風景)】 〔写真:上が北 東西のJR神戸線と南北の阪急今津線が交差するところ〕  兵庫県ではこの津門大塚町遺跡内に、県立西宮総合医療センター(仮称)の建設を計画しており、その建築に先駆けて今回の発掘調査を行うことになりました。病院建設予定地内にある遺跡の大部分は、近代以降の造成により失われていたので、遺跡が残っている3箇所で発掘調査を行いました。今回の現地説明会は、北側の2、3区の調査成果の発表となります。 【調査区の平面図】  今回の調査では合計8基の埋没古墳の存在が明らかとなりました。出土遺物から、1号墳のみ古墳時代前期の円墳で、そのほかは古墳時代後期のものであることが判りました。後期の古墳のうち、8号墳は全長21m(周濠を含めると直径約30m)の円墳で、南西側に「造り出し」と呼ばれる突出部が設けられています。墳丘や埋葬施設は既に失われていますが、周濠の中から、円筒埴輪や人物埴輪等の形象埴輪、須恵器等多数の遺物が出土しており、被葬者はこの地域の首長クラスであったと想定されます。 【8号墳の造り出し】  2~7号墳は、全長10m前後の小型の方墳で、こちらの周濠の中からも、埴輪や須恵器の遺物が多く出土しました。中でも5号墳では牛と馬の歯が出土し、古墳での祭祀に伴って、牛馬を供える儀礼が行われたことが考えられます。2~7号墳はその規模から、8号墳の被葬者に従属的な立場にあった人々の墓であると想定されます。 【2~7号墳全景】  今回、臨海部で見つかった埋没古墳は、西宮市で初めての事例です。造り出し付円墳の主墳とそれに付随する小方墳群という構成や、牛馬を用いた儀礼、円筒埴輪や形象埴輪等多様な埴輪が樹立されたこと等、今回の調査は阪神地域における古墳時代社会を考えるうえで、非常に重要な成果となりました。    あいにくの悪天候の下での説明会となりましたが、600名を超える非常に多くの方々に来ていただき、大変盛況な会となりました。皆さん熱心に調

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