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3月 27, 2022の投稿を表示しています

竪穴住居復元プロジェクト 令和3年度の活動無事終了!

3月27日(日)、竪穴住居復元プロジェクトの今年度の最後の活動日です。週半ばまでの雨の予報が一変し、好天の下、作業をすることができました。 【参加メンバーの皆さん】 【前回の3月12日終了時の写真】 前回(3月12日)は棟木(建物頂部に設置する横に長い木)を設置するところまで済んでいました。 今回は、屋根の上部、両端の破風の部分を形づくる 垂木(たるき:一般には屋根の斜面を支えるための太い木) を設置します。 垂木や木舞(または小舞:こまい 垂木と垂木をつなぐように横に設置する細めの木で、竹を使用したりします)は当時のように釘は使わず、縄で縛って固定します。 ここが出入口になります。出入口には庇をつけたりしますので、ちょっと細工が必要になります。 予定通り今年度の最終日で垂木の設置が終了しました。竪穴住居の雰囲気が漂ってきましたね。 4月からは、屋根の上部に木舞を細かく設置していく作業になります。それが済めばいよいよ屋根を葦(アシ)で葺いていくことになります。 完成はいつの日か、乞うご期待! 気候がよくなったので、大中遺跡公園を訪れた多くの方々が声をかけてくださったり応援をしてくださいました。ありがとうございました。

講演会「兵庫の弥生土器」

講演会「兵庫の弥生土器」を開催しました。 今年度の “兵庫考古学研究最前線2021” の締めくくりです。 講師は、(公財)兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部調査第2課の篠宮課長です。講演では弥生時代中期の東播磨地域の土器を中心に、土器の形の移り変わりや地域性などを詳しく解説されました。 最初に、"長い研究の第一歩”として、昭和 57 年~平成3年にかけて行われた玉津田中遺跡(神戸市西区)の発掘調査の話がありました。 「6年間関わったなかでの1番の成果は、弥生時代中期の集落に関するもので、墓・水田(生産域)・集落(居住域)の三拍子が揃っていたことです。沖積地にあるため、洪水に遭った遺構から大量の残りの良い土器が出土しており、土器の変遷や、播磨地域の様相を調べるのに非常に役立ちました」とのことでした。 【玉津田中遺跡出土の甕の使用痕跡を紹介】 (内部に米粒やコゲ、外側にススや吹きこぼれがみられる) 次にいろいろな土器の変遷表を見ながら、形の移り変わりや、文様の特徴を解説されました。文様は今でいう「デザイン」ではなく「マーク」で、地域を主張するものであったようです。 【東播磨地域の広口壺の変遷表】 播磨地域の広口壺は、頸部と体部の境いめ(くびれの部分)に複数の突帯(とったい=粘土紐を貼り付けてつくった凸部分)があるものが多いのですが、少し時代がくだって中期後葉になると、この凸部分はなくなり、粘土紐を貼り付けずに強くなでて凹線をつくるだけになるとのこと。 【東播磨地域の土器の、口縁部の文様】 東播磨地域では、東側にある摂津地域の影響が強く、体部の上半分に直線文と波状文を交互に櫛状の工具で描いています。 西播磨地域では、西側にある吉備地域の影響を受けて、貝殻の腹縁を押し付けた列点文をつけたものが多く見られます。 このように文様を見ることで、隣りあった地域から土器そのものが移動してきたり、あるいはデザインや技法の影響がうかがえるなど、他地域と交流があったことがわかります。 *  *  *  *  * 最後に、「このように、出土数の多い土器を見ていくことで古代の生活が見えてきます。土器研究は考古学研究の全ての基準になります。個人的にはまだまだ研究途中ですので、これからも他地域との比較なども含めて研究を続けていきたい」と結ばれました。

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