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1月 29, 2023の投稿を表示しています

満開間近! 大中遺跡の梅

大中遺跡公園の通路沿いにある梅が開花しています。 つい先日まで雪がちらついていたと思ったら、こんなに! 道行く人たちが立ち止まって撮影していました。 周囲には香りもただよっています。 満開までもう少しというところですね。 最も早く蕾が開く博物館西出入口の2本の梅も、遺跡公園の梅に負けないように頑張っています。 博物館東出入口前の三色(赤・桃・白)の梅は、今のところ赤と白はまだ蕾です。三色に彩られる日が待ち遠しいです。 雪で電車が止まったり、暖かくなるという予報が外れたりした1月末でしたが、確実に季節は暖かくなる方にUターンしたんだなと、実感しました。 大中遺跡公園の梅、お見逃しなく!

節分イベント「鬼瓦のお面でおにおに」

1月29日(日)に節分イベント「鬼瓦のお面でおにおに」を開催しました。 はじめに、学芸員が節分と鬼瓦についての話をしました。 「節分は、本来は年に4回あり、それぞれ立春・立夏・立秋・立冬の前日のことをいいます。昔の人は、季節を分けるものとして儀式を行いましたが、春が来る1回目の節分を特に祝ったとされ、その名残が2月の節分として残されています。」 「鬼瓦は、寺社や家の屋根の両端につけてある特殊な瓦で、それらを守ってくれる魔よけの瓦です。」 次に、当館ボランティアによる「干支のおはなし」がありました。 “12の動物がなぜこの順番か、なぜ猫はいないか”のほかに、イタチにも言い伝えがあるのだそうで、神様は十二支に入れなかったイタチのために、毎月一日をイタチにする約束をしたのですって!(つ・いたち)。 さあ、いよいよ“鬼瓦のお面”をつくります。 賀古駅家(かこのうまや/加古川市)から出土した奈良時代の鬼瓦を基本にしたオリジナル塗り絵で、お面をつくっていただきます。「これが鬼瓦だよ~。」 <ボランティア作のレプリカを持つ学芸員> 「どんな色にしようかな」台紙に好きな色を塗ります。 しっかり塗れたら、頭に着けられるように裏面に紙のテープをつけて、完成です! こちらは、ご家族でつくってくださいました。個性が出ていますね。 外へ出てみると、竪穴住居の所に人だかりができていました。 鬼です!中央に鬼がいます。 豆の代わりに、大中遺跡公園のドングリで “豆まき”をします。 「鬼は~そと~、福は~うち~」 みんなの力で、見事に鬼をしりぞけました。 イベントに参加してくださった皆さんと一緒に、このブログを読んでくださっている皆さんにも、福がやってきますように。

#自宅でも考古博 36「播磨国風土記と蛇行剣」

 1月26日(木)、奈良県奈良市の富雄丸山古墳(円墳で全国最大の直径109m)の造り出しに築かれた埋葬施設から、盾形の青銅鏡とともに、 237㎝にもなる全国最大で最古の蛇行剣(蛇のようにうねった刃をもつ剣)が出土したと発表されました。  蛇行剣とは、刃の部分が蛇のようにうねった剣のことで、古墳時代中期に盛行する特異な剣です。  全国では81点が確認されていて、そのうち兵庫県内では亀山古墳2点(加西市)、茶すり山古墳2点(朝来市)、火山13号墳1点(丹波市、当館所蔵)の合計5点が出土しています。素材の鉄を分析した例を見ると炭素含有量の少ない鋼を使用しているので、武器としての実用性はなく、儀礼に使用されたものであった可能性があります。  また、これまでの研究から、古い段階の蛇行剣は前方後円墳ではなく大型の円墳から出土することが多く、さらに同じ古墳でも中心となる埋葬施設からではなく、それ以外の埋葬施設から出土する例が多いことがわかっていて、古墳の主たる被葬者の副葬品ではない、とされていました。今回の発見でもサイズの差こそあれ円墳で造り出しの埋葬施設から出土しており、これまでの研究を裏付ける結果といえます。  この蛇行剣発見の報を聞いたとき、頭をよぎったのが『播磨国風土記』讃容(佐用)郡中川里の一文で、天智天皇の時代、河内国(大阪府)の人から30㎝ほどの剣を買い取ったところ、その一家が滅んでしまったという、恐ろしい呪いの剣のお話です。その後、剣は土の中から発見されたのですが、錆びもせずに鏡のように光り輝いていたといいます。発見した犬猪さんは剣を持ち帰り、鍛冶職人を呼んで刃を焼かせたところ、蛇のように「屈申」したそうです。  この「蛇のように」と表現しているのは蛇行剣をイメージしているためかもしれません。古墳時代中期に盛行した儀礼用の蛇行剣は、200年後にも霊力のある剣として恐れられたことを表しているのでしょうか。  奈良時代、この地域は鉄が産出されていたと『播磨国風土記』に記されているので、鍛冶職人も周りにはたくさんいたのでしょう。また、中川里には美作道の駅家「中川駅」が置かれていたようです。そして明日香村の大官大寺跡からは「讃用郡駅里鉄十連」と書かれた木簡が見つかっています。こうした鉄の産地、交通の要衝といった環境もこの説話が生み出された要員の一つだったのでしょう。  さ

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