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5月 10, 2020の投稿を表示しています

#自宅でも考古博 18「三角縁神獣鏡の銘文解読に挑戦!」

権現山51号墳は、兵庫県たつの市の御津町と揖保川町の境にまたがる標高約140mの尾根上に位置します。 空から見た権現山51号墳 平成元年(1989)2月~3月、私(山本)が当時在学中の岡山大学考古学研究室が発掘調査を行いました。調査の結果、全長約43 m の前方後方墳の竪穴式石室(後方部頂)から、三角縁神獣鏡が5面見つかりました。  発掘調査の状況 鏡の出土状況 2 号鏡は直径約23 cm 、重さ約1.3 kg の青銅製で、「張氏作三神五獣鏡」と呼んでいます。張さんが作った鏡で、3人の神様と 5 匹の神獣が表現されています。 2号鏡 また鏡には時計回りに漢字の銘文も表現されていますので、解読に挑戦しました。 神獣像の外側が銘文 銘文 張氏作鏡眞巧 仙人王(子)喬赤松子 師子辟邪世少有(上有仙人不知老)渇飲玉泉飢食棗 生【壽】如金石 天相保兮 ※( )は不足、または加えることで、意味が通じると考えた文字。 ※【 】は変更することで、意味が通じると考えた文字 読み下し 張氏(ちょうし)の作りたる鏡は真(まことに)巧(たくみ)なり。仙人は王子喬と赤松子なり。師子(獅子)は邪(じゃ)を除(のぞ)き世に有ること少なし。(上には仙人有りて、老いを知らず。)渇いては玉泉を飲み、飢えては棗(なつめ)を食らう。壽は金石の如く、天とともに相保ちや。 翻訳 張氏が作ったこの鏡は本当に素晴しい。この鏡の仙人は(中国の伝説上の)王子喬と赤松子である。この世に現れることは少ないが、(この鏡に刻まれた)獅子は邪悪を取り除く。天上では不老不死の仙人が玉泉(清らかな泉)を飲んで棗を食べているように、この鏡を持つ者の命は金石のように永久不変で、天上の仙人のように老いを知らない。 出展:権現山 51 号墳発掘調査団団長近藤義郎編『権現山 51 号墳』 1991 (平成 3 )年 (学習支援課 山本 誠)

#自宅でも考古博 17 「これって文様?」

 展示の案内をしていて、よく質問されるのが、この大型の甕についてです。 「これって文様ですか?」 須恵器 甕(かめ) 市辺遺跡(丹波市)出土 奈良時代  近づいて表面をよく見ると、なにやら凸凹として文様が付けられているようです。  表面にある文様?  実はこれは装飾のために付けられた文様ではなく、大きな土器をつくるときに使われる道具(叩き板)の痕跡で、「叩き目(たたきめ)」と呼ばれるものです。 土器作りの道具 (左:当て具、右:叩き板)  大きな土器の作り方ですが、まず、粘土を紐状にのばし、それをぐるぐると巻き上げ、あるいは輪っか状にした粘土を積み上げて全体の形をつくります。  その後、土器の内側に当て具をあて、外側から叩き板で粘土を叩き、粘土を叩き伸ばすようにして形を整えていきます。  このとき、当て具には同心円(何重もの円)が刻まれ、叩き板には平行線や格子目が刻まれているので、土器の内側には当て具の跡(当て具痕)がつき、外側には叩き板の痕跡(叩き目)がつくのです。 内側に付いた当て具の痕跡 同心円が重なりあう  道具に刻み目が付けられるのは、粘土を叩き締めるのに効率がいいためと考えられます。  これで解決!・・・と、思ったら、 「じゃあ、これもそうなんですか?」と、さらに質問が。 須恵器 甕 新宮山中世墓(養父市)出土 鎌倉時代 表面にある文様?  ん~、、、これは単なる道具の痕跡、とは言えないですよね、、、  綾杉文の叩き目、と呼ばれているもので、このような装飾を意図した美しい叩き目が他にも数種類あります。  本来は、粘土の叩き締めのために付けられた道具の痕跡ですが、時代と地域によっては装飾効果をねらうものもあったようです。  細かく観察することで、当時の陶芸作家のオシャレな感覚が伝わりますね。 (学芸課 中村 弘)

#自宅でも考古博 16「展示室の照明がLEDに!!」

博物館の照明(光の当て方や明るさ・色)は、展示物を見るうえで重要な役割があります。このたび、考古博物館では従前のハロゲンランプや蛍光灯などの照明器具を LED 光源に変更しました。 せっかく、照明が一新されたにもかかわらず、当館にお越しいただけないことになっていますので、今回のブログで照明器具交換の様子とともに、新しくなった照明を体感していただければと思います。 まずはテーマ展示室から。 ずらっと並んだ LED 照明器具と従前の器具。形態は同じですので、見た目は変わりません。  新しいLED照明器具  これまでのハロゲンランプの照明器具  しかし、これまでの器具のハロゲンランプは、1個 300 ワット。それが、 LED だと 50 ワットで同量以上の照度があり電気消費量が少なくて済みます。またハロゲンランプの寿命は約1か月ととても短い上に、天井まで約7メートルの高さまで高所作業車(リフト)に乗ってランプ交換やメンテナンスをおこなっていましたが、 LED 化によって交換の手間が省けるようになります。  照明器具の交換作業    次は発掘ひろばの入口です。見るからに明るくなっています。中に入ってみましょう。  発掘プール付近もこんな感じです。      特別展示室は、天井・展示ケース内の蛍光灯、天井などに設置するスポットライトが、すべてLED光源になりました。  展示室ではありませんが、情報コーナーもすべて LED に交換しました。特別展示室の LED は昼白色ですが、こちらは電球色を採用しました。  いかがでしたか? LED照明に変わった展示室を、実際に体感していただける日が、一日でも早く来ることを願うばかりです。 (学芸課 松井良祐)

#自宅でも考古博 15「発掘こぼれ話その1ー初めての発掘」

50年余り前、初めて行った発掘のことは今でも忘れられない。 それ以来、ズッと考古学をやってきたのだから。 1967年、大学に入学した春、探検部に入ろうと思って部室を訪ねたが、プレジデントと呼ばれる部長が余りにも威張っているのに嫌気がして、余り深い知識もないままに、同じ未開や未文明の社会を扱う分野だと思って考古学研究会に入った。  新入生歓迎で奈良の飛鳥へ行き、岩屋山古墳、益田岩船、石舞台古墳などをめぐって、最後の桜井茶臼山古墳に登ったときには月が出ていた。この時の踏査で初めて遺跡のおもしろさ、遺跡めぐりの楽しさを知った。  そして、その年の夏休みに参加したのが、京都府乙訓郡向日町(現・向日市)の寺戸大塚古墳の発掘調査だ。 寺戸大塚古墳の後円部 (京都大学考古学研究室向日丘陵古墳群調査団 近藤喬一・都出比呂志 1971「〈調査報告〉京都向日丘陵の前期古墳群の調査」『史林』第54巻第6号 より転載)    この年、文学部の考古学研究室(3回生以上)では、向日丘陵上の古墳の発掘を計画していて、特別に文学部の学生を中心に、研究会の学生の参加を前後2人ずつ認めるということだった。 そのため文学部生だった私は優先的に参加が認められた。  当時、研究会は文学部の学生が少なく、工学部、農学部、法学部、経済学部などの学生が多かった。1学年上にノーベル化学賞の吉野彰さんがいたのもそのためだ。  研究室助手の近藤喬一さん(後に山口大学)が現場隊長、大学院後期課程の院生だった都出比呂志さん(後に大阪大学)が副隊長で、他は3・4回生と大学院生ばかり。  阪急電車の西向日町駅近くに今も残る石塔寺で合宿した。夜はミーティングもなく、みんな思い思い好きなように過ごしていて、私からみれば大人の集団だった。  新入生をいたわるためだろう。トランプにも興じてくれて、神経衰弱で勝たせてもらった。  困ったのは、お寺が日連宗だったので、朝の6時から大きな太鼓の音が鳴り響いたことだ。しかし、それも慣れと発掘の疲れで聞こえなくなってしまった。  もう一つ困ったのはニンニク入りのマムシ酒。ニンニクや焼酎になれていなかったので、臭くて、臭くて。つぎの日のトイレなどは口で息をせざるをえなかった。  発掘現場は90メートル余りの前方後円墳で、後円部の埋葬施設(竪穴式石槨)の発

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