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8月 4, 2024の投稿を表示しています

BANBANテレビ「地元探索! ここから南歩!」

  8月8日(木)BANBANテレビより取材を受けました。番組名は 「地元探索! ここから南歩!」です。  9月1日(日)~15日(日)まで毎日19時15分~、22時30分~地デジ11ch(BAN-BANテレビ)にて放送されます。また、BAN-BANテレビの公式Youtubeでも配信されます。    学芸員による考古博物館の説明からスタート    発掘体験しているご家族にお話を伺いました。      学芸員の絶妙の解説に南歩さんも思わず声がでました。  最後に53,678歩目の出会いに感謝のステッカーをいただきました。  南歩さんに街ぶらロケで考古博物館に来ていただきました。  南歩さんは、稲美町出身で県立播磨南高校を卒業された地元の方です。  考古博物館の施設の素晴らしさに感動されていましたが、それ以上に学習支援課学芸員の永惠さんの話の上手さに驚かれていました。  番組を見るのが今から楽しみです。展示に興味関心のある方は、是非とも考古博物館に直接お越しください。(小林)

夏季企画展関連講演会 「但馬の文字を、読み・披(ひら)く」

  夏季企画展関連講演会として、 8月3日(土) 13時30分より、 山本 崇氏(奈良文化財研究所 文化遺産部 上席研究員 歴史史料研究室長)を講師として招聘し、 「但馬の文字を、読み・披(ひら)く」と題して、ご講演をいただきました。  「よみひらく」とは、読んで意味を明らかにするということです。木簡や、墨書土器の読みについて、調査、整理、保存処理、史実、字形等、詳しく教えていただきました。   今回も多くの皆様が参加され、熱心に受講されていました。    講演会終了後、特別展示室において実物を前に更に詳しいお話を聴くことができました。  山本先生におかれましては、ご多用の中ご講演に続いて展示品の解説もしていただき、ありがとうございました。(小林)

干支(えと)のメダルをつくろう!

    8月3日(土)10時より古代体験講座として「 干支(えと)のメダルをつくろう!」が、 当館体験学習室で実施されました。    最初は、石こうボードに下絵を描きます。    続いて、彫刻刀で削っていきます。    石こう型(鋳型)をレンジで温めてから、溶かした金属を流し込みます。  鋳型をばらしてメダルを取り出します。  金属はまだ熱いので、水で冷却します。  金属を流した痕跡の湯口は、職員が切り落とします。    鋳型のすき間からはみ出た金属は、やすりで落とします。  最後は、耐水ペーパーと研磨剤で仕上げて光沢を出します。(過去に作成された見本)  干支メダルは、金属を溶かして鋳型に流し込みます。今回は、参加された皆様の生まれた年の干支(えと)をデザインして、世界に1つだけの干支メダルを作成しました。  これからも 古代体験講座 は、古代の技を体験するワークショップとして事前予約制で多数実施しています。ぜひご参加ください。(応募が多数の場合は抽選となりますので、ご了承下さい)(小林)

ほったんのなぜなぜコーナー 「夏季企画展:但馬国」

      (ほったん) 前回は「木製品」の保存方法について教えてもらったけれど、改めて見てもやっぱり但馬地方は木製品の出土品が多いね。 文字の書いてある木簡以外にも いろいろな木製品があるよ。 人形(ひとがた)や馬形、鳥形、舟形・・・ お皿、下駄や独楽(こま)まである。 こんなにいろいろな種類の木製品は何のためにつくられたのかな? (学芸員) 但馬地域は木製品が良好な状況で保存される環境である 低湿地の遺跡が多いので、木製品がたくさん残っていたんだよ。例えば全国で出土した人形の半分くらいは但馬からのものなんだ。これは兵庫県としても自慢できるかな。   木皿などは食器として使ったものも多いだろうけど人形、馬形などの木製品は祭祀(さいし=おまつり)用として使われていたんだ。     そういえば、6月におこなった「ひとがた流し」では木でできた人形を使っていたね。でもその時は人形だけだったと思うけど。   そうだね。人形は一年に2度、6月と 12 月の晦日(みそか=最終日)に執り行う大祓(おおはらえ)で使われていたんだけれど、それ以外の馬形や鳥形、舟形は穢(けが)れを背負った人形の乗り物と考えられていたんだ。   こちらの袴狭(はかざ)遺跡の人形をよく見てごらん。同じ人形でもさっき見た砂入遺跡の人形は「なで肩」だったけど、少しずつ形が違っているよね。手の有無や首から肩への切り欠きの角度によって、作られた時期の違いを見分けることができるんだよ。   へー なで肩から怒り肩に変化しているんだ。大きさもいろいろあるね。   同じく袴狭遺跡から出土した大型の人形は1m以上もあって「一人 當(当) 千急々如律令」と墨で書かれているんだ。「急々如律令」とはおまじないの即効性を願う決まり文句なんだけど、この人形1体で千体分の効力を期待していたんだね。   それは少し厚かましすぎるんじゃないの。 それで願い事が叶うなら「夏休延長 急々如律令 」と書いて流そうかな。 そういえば、このようなお祓いを行う場所は、役所の近くだったって言っていたね。 ということは、これらの遺跡の近くに役所があったというわけ?     役所は官衙(かんが)と呼ばれていて、今ここに展示されている木簡

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