スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

ラベル(調査・研究)が付いた投稿を表示しています

沈殿藍から藍染めに挑戦!

  9月下旬から10月にかけて作った沈殿藍を使って藍染めにチャレンジしました。  奥のボトルに前回作った沈殿藍、手前の袋にあるのが泥状になるまで水分を飛ばした泥藍です。このままでは、布を染めることができないので、ブドウ糖液を入れて還元させた浸し染め用水溶液(染色液)を作ります。  染色液を約60℃に温めて布に色が入りやすくしています。        最初にタオルの切れ端を入れてみました。(1回目)    1回目は薄い緑色が着く程度でした。    2回目は少し緑色が濃くなってきました。    3回目になると青色が少し着いてきました。  染色液に入れた、水洗い前のタオルの切れ端状態です。    たこ糸やガーゼのハンカチ、さらし等の布でも染色液に浸しました。    たこ糸は、緑色に着色されました。(1回目)    さらしは、1回目の染色液ではほとんど色は着いていません。    タオルの切れ端は、6回目ではしっかり青色に染まっていました。  藍染めされた市販の布(見本用)  同じ木綿でも糸の太さや布の密度、藍染め時間などの条件によって色合いが変わっていました。  「甲冑を着よう!」のボランティアの方々も藍染めの様子を見に来られていました。  後半の浸し染め用水溶液(染色液)  後半の染色液のpHは、10~11でした。   過去の古代体験講座 (7/26) では、「 藍の生葉で染めものをつくろう!」を実施しました。  生葉染めは、藍の葉の鮮度が大切であるため、原料であるタデ藍の収穫時期である7月から9月にしかできません。本藍染とは違った淡い色合いが楽しめる染色技法です。   今回は、 日本の伝統的な藍染にならい、タデ藍を発酵させて沈殿藍、そして 染色液を作りました。まだまだ、試行錯誤の状態ですが着実に前進しています。  成功した後には、様々な時期に藍染め体験を実施することができます。  乞うご期待ください。(小林)

沈殿藍作りにチャレンジ(その2)

 10月2日(水)前回(9/26)の経験を活かし、再度沈殿藍作りにチャレンジしました。  前回バケツ半分程度あった「タデ藍」の水溶液も、少しだけとなりました。    手作業で3000回攪拌は大変なので、今回は文明の利器をつかいます。  それは、家庭で不要となったバスポンプです。これを利用して液体を循環させてかき混ぜました。    においを確認しました。すでに腐敗臭はしていません。    藍は水に溶けません。色を溶けださせるためには、水溶液をアルカリ性にする必要があります。そこで、石灰水を追加して更に攪拌します。  簡易リトマス紙でpHも検査します。(石灰水は後ろに見える電子はかりで作成)  アルカリpH10.0程度まで進みました。    今回は、泡がすぐに消えていく現象も確認できました。  前回作った水溶液の上澄み液(溶液の80%以上)は廃棄しました。    多くの「タデ藍」から、わずかな「沈殿藍」しか作成されないということを知りました。  これからも、裏方の地道な取り組みについても可能な限り紹介させていただきます。  県立考古博物館に興味関心を持っていただければ嬉しく思います。(小林)

沈殿藍作りにチャレンジ

   9月26日(木)学習支援課と当館ボランティアの方が、沈殿藍(ちんでんあい)作りに挑戦しました。  沈殿藍とは、草木染を行う際の手法の一つで、タデ科の植物を使って藍色成分(インディゴ)を抽出します。  まず、実験用水田周辺で栽培している 生葉染め用に育てた「タデ藍」をポリバケツに入れ発酵させます。(2~3日間)    その後、発酵させた葉っぱを取り出して液をこします。    発酵しているので、取り除いた葉と液体は「強烈なにおい」がしていました。       石灰水を入れてかき混ぜます。(3000回でにおいは消えるらしい?)    まだ、泡がありますが青色が出てきました。  泡が大きくなり、すぐに消えるようになるまでかき混ぜる必要があります。    その後、2日ほどおいて上澄み液を捨ててペットボトル等の容器に移し替えて保存します。    様々な古代体験講座の実施に向けて、学習支援課と当館ボランティアの方々の準備の様子を知っていただければ幸いです。  これからも考古博物館並びに、古代体験講座をよろしくお願いいたします。(小林)

令和6年度 発掘調査速報会

  7月27日(土)13時30分より講堂において、令和6年度発掘調査速報会が実施されました。  発表内容は、兵庫県まちづくり技術センター職員による最新発掘調査の成果報告です。  最初は、上田健太郎副課長による「 沖代遺跡」(太子町)です。竪穴建物や平地建物が建ち並ぶ縄文時代後期の集落についての報告でした。  次は、垣内翼技術職員による「治郎ノソリ遺跡」(洲本市)です。淡路島の弥生後期集落の展開についての報告でした。  3番目は、岡田大雄技術職員による「 前田遺跡」(姫路市)です。姿を見せた新発見の古代寺院についての報告でした。  報告会に続いて、会場参加者の質問に回答しながら、菱田哲郎館長と発表者が討論を行いました。   討論会の様子を少しですが、動画でも紹介します。       菱田哲郎 考古博物館長    最後は、 特別展会場において更に詳しい話を、展示物を前に聴かせていただきました。      今回は、速報会3本プラス討論会と盛りだくさんの内容でした。その後16時15分からの展示解説にも多くの皆様にご参加いただきました。ありがとうございました。  次回も、 夏季企画展関連講演会として、 8月3日(土) 13時30分より、 山本 崇氏(奈良文化財研究所 文化遺産部 上席研究員 歴史史料研究室長)を講師として招聘し、 「但馬の文字を、読み・披(ひら)く」と題して、ご講演をいただきます。  多くの皆様のご参加をお待ちしています。よろしくお願いいたします。(小林)

津門大塚町遺跡の発掘調査現地説明会

 11月13日(日)に西宮市津門大塚町にて、津門大塚町遺跡の発掘調査現地説明会を開催しました。  津門大塚町遺跡は、アサヒビール西宮工場の解体に伴って行われた西宮市による調査で存在が明らかとなった遺跡で、これまでの調査では、古墳時代から近世まで、長期にわたって集落が営まれていたことが確認されています。 【ドローン全景写真(調査地と周辺の風景)】 〔写真:上が北 東西のJR神戸線と南北の阪急今津線が交差するところ〕  兵庫県ではこの津門大塚町遺跡内に、県立西宮総合医療センター(仮称)の建設を計画しており、その建築に先駆けて今回の発掘調査を行うことになりました。病院建設予定地内にある遺跡の大部分は、近代以降の造成により失われていたので、遺跡が残っている3箇所で発掘調査を行いました。今回の現地説明会は、北側の2、3区の調査成果の発表となります。 【調査区の平面図】  今回の調査では合計8基の埋没古墳の存在が明らかとなりました。出土遺物から、1号墳のみ古墳時代前期の円墳で、そのほかは古墳時代後期のものであることが判りました。後期の古墳のうち、8号墳は全長21m(周濠を含めると直径約30m)の円墳で、南西側に「造り出し」と呼ばれる突出部が設けられています。墳丘や埋葬施設は既に失われていますが、周濠の中から、円筒埴輪や人物埴輪等の形象埴輪、須恵器等多数の遺物が出土しており、被葬者はこの地域の首長クラスであったと想定されます。 【8号墳の造り出し】  2~7号墳は、全長10m前後の小型の方墳で、こちらの周濠の中からも、埴輪や須恵器の遺物が多く出土しました。中でも5号墳では牛と馬の歯が出土し、古墳での祭祀に伴って、牛馬を供える儀礼が行われたことが考えられます。2~7号墳はその規模から、8号墳の被葬者に従属的な立場にあった人々の墓であると想定されます。 【2~7号墳全景】  今回、臨海部で見つかった埋没古墳は、西宮市で初めての事例です。造り出し付円墳の主墳とそれに付随する小方墳群という構成や、牛馬を用いた儀礼、円筒埴輪や形象埴輪等多様な埴輪が樹立されたこと等、今回の調査は阪神地域における古墳時代社会を考えるうえで、非常に重要な成果となりました。    あいにくの悪天候の下での説明会となりましたが、600名を超える非常に多くの方々に来ていただき、大変盛況な会となりました。皆さん熱心に調...

令和4年度 発掘調査速報会報告

開催中の夏季企画展「ひょうご発掘調査速報2022-五国の逸品-」に関連して、発掘調査速報会が開催されました。 発掘調査を行っている公益財団法人兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部と考古博物館の共催です。 令和3年度に兵庫県内で実施した、中村群集墳(神戸市西区)、玉津田中遺跡(神戸市西区)、住吉川右岸遺跡(丹波篠山市)の発掘調査の成果報告です。 熱心な考古学ファンの皆さんで会場はいっぱいです。暑い中ありがとうございます。 最初に、まちづくり技術センターの廣田常務理事が挨拶されました。まちづくり技術センターの業務について、また、社会基盤整備に基づく埋蔵文化財調査の意義について話してくださいました。 調査成果報告のトップバッターは、埋蔵文化財調査部調査第2課の稲本悠一さんです。担当の中村群集墳について報告してくださいました。 中村群集墳は、第二神明道路の建設に先立ち、昭和43年(1968年)に2基の古墳の発掘調査が行われ、古墳時代後期(約1,500年前)の群集墳として知られていました。 令和2年度の調査では、弥生時代後期、古墳時代前期、古墳時代後期の3時期の墳墓が見つかり、令和3年度の調査では、弥生時代終末期から古墳時代初頭の墳墓、溝、集石遺構などが見つかりました。 また、埋葬施設は「礫槨(れきかく)」と呼ばれる兵庫県内では類例のない、土ではなく大量の礫で埋められているもので、とても珍しく貴重な発見となったそうです。 続いて、調査第2課の鈴木郁哉さんから玉津田中遺跡の報告です。 玉津田中遺跡は、先ほどの中村群集墳のすぐ東にあり、縄文時代から古墳時代後期を経てさらに中世に至る集落遺跡で、弥生時代には明石川本流域における最大の拠点集落として発達したとのこと。 No.175地点では、中世の水田遺構と溝で囲まれた屋敷地が見つかり、1kmほど北東にあるNo.164地点では、古代から中世にかけて同じ場所で集落が営まれていたことが分かったそうです。掘立柱建物の詳しい位置や想像される建物についても解説がありました。 最後は、同じく調査第2課の園原悠斗さんから丹波篠山市にある住吉川右岸遺跡についての報告です。 成果として、弥生時代後期の溝と弥生土器、古墳時代中期の竪穴建物と旧河道、奈良時代の掘立柱建物、焼土杭、土坑、柱穴、平安時代の溝に囲まれた掘立柱建物、溝、土坑、柱穴、鎌倉時代の...

過去の記事一覧

もっと見る