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7月 9, 2023の投稿を表示しています

令和5年度 県内芸術家ロビーコンサート

    こうこはくロビーコンサート「夏空とそよ風のしらべ」が 7 月 15 日 ( 土 ) に、開催されました。 今回は、ヴァイオリンとピアノの演奏者として、兵庫県ゆかりのお二人をお招きして、親しみのあるプログラムで皆様にお楽しみいただきました。     この日は「ひょうごプレミアム芸術デー」として入館料は無料。博物館で知識を吸収し、コンサートで癒やされ、有意義な1日を過ごしていただけたのであれば幸いです。(因みに芸術デーはあさって17日(月・祝日)まで。無料開放しています!)   演奏者  ヴァイオリン 坂 茉莉江(さか まりえ)さん オーストリアのザルツブルク・モーツアルテウム音楽大学大学院を最優秀にて修了され、 ソリストとして 関西フィルハーモニー管弦楽団などと共演、現在はソロ、室内楽奏者として幅広く活動中です。   ピアノ     河野 佐千栄(こうの さちえ)さん ポーランドのショパン音楽大学研究科を修了され、現在は関西を中心にソロ、室内楽奏者として幅広く活動中です。    向かって右に坂さん、左が河野さんです。ドレス姿が素敵です。 演奏が始まりました。 1曲目は「エルガー:愛の挨拶」 威風堂々という曲で有名なエルガーが妻へ婚約記念に送った曲です。 続いて、「ベートーベン:ヴァイオリンソナタ第5番 春」 明るい曲調からスプリングソナタと呼ばれています。 坂さんから演奏する曲目についての説明がありました。 「この曲はベートーベンが30歳の時に作曲した曲になりますが、この時、既にベートーベンは耳が不自由な時期だったということです。」 やはり天才ですね。 「中島みゆき:糸」 縦の糸はあなた~ 横の糸はわたし~ ご存じの曲です。 「エンニオ・モリコーネ:ニュー・シネマ・パラダイス」 イタリアの作曲家モリコーネが哀愁豊かな曲調で映画を彩りました。 座席が埋まってしまって、一部の方は上階からの観覧になってしまいました。 会場の都合で申し訳ありません。 最後の曲です。 「モンティ:チャルダッシュ」 元はハンガリーの民族舞踊のようですが、スケートの浅田真央さんが使用して広く知られるようになりました。 楽しい曲です。 席の後ろの方で、小さな女の子が思わず音楽に合わせて、一緒に踊っていました。   これで、全て

蓮池小の皆さん 稲は順調に育っていますよ。

    播磨町立蓮池小学校の生徒さんが田植えを行ってから1ヶ月が過ぎました。 順調に成長しています。 背丈は目測ですが、30~40cmぐらいというところでしょうか。 この田んぼに植えたのは普段食べている白い米ではなく、有色米といわれているもので、他の田んぼと比較しても成長度合いは変わりないように見えます。   今年の田植え体験で使った品種は赤米2種(対馬、種子島)、黒米1種(壱岐)とモチ米の合計4種類でした。 こちらは、現代のモチ米「ハリマモチ」です。 黒米は今の段階で、葉の色が既に黒いのでわかりやすいですね。   ここで、いわゆる「古代米」と呼ばれているものについて。 これは私たちの祖先が栽培していたイネではなく、古代の稲の品種の特徴を色濃く残したであろうイネのことですが、中でも、 「赤米」や「紫黒米(しこくまい)(黒米)」「香り米」という、玄米に色や香りを持った米は、品種改良の対象にもならず、現在でも日本や東南アジアなど世界の一部の地域で栽培され続けています。 「古代米」といってもイネなので、栽培の基本は通常の白米の育て方と違いはありませんが、全体的に稲の草丈が長く倒れやすいので、肥料は通常の栽培の半分以下にしたり、密植を避けるなどの工夫が必要とされています。 ただ、本当のところ縄文時代に日本に伝わったとされるイネのことはまだよくわかってはいません。   暑くなるにつれて、これからもどんどん成長していきます。 稲刈りが楽しみです。

ほったんのなぜなぜ?教えてコーナー⑦ 米づくり

  (ほったん) 縄文人の主食が肉や魚じゃなくて、植物、木の実だったという話には驚いたよ。  縄文人というと最初に展示室で見た、弓矢などを持って狩りをしている印象が大きいからね。 (学芸員) そうだね。やはり狩りはうまくいく時もあれば、失敗する時もあるから、植物、木の実の方が安心できるからね。縄文時代は気候も暖かかったから、木の実もたくさんとれたんだ。 (ほったん) でも、木の実が育つのを待つより、自分で育てるようにすれば、もっと安心して過ごせたんじゃないかな。 弥生時代になれば、お米が食べられるようになるのに残念だね。   (学芸員) そうだね。でも実は縄文時代でも栗などの植物がよくできるように管理したり、ヒョウタンなどの有用植物の栽培もしていて、お米も食べられていたようなんだ。 (ほったん) そんなはずないよ。縄文人は狩猟民族、弥生人は農耕民族って聞いたことがあるから、縄文時代に米づくりはしていないよ。   (学芸員) 以前はそのように学校で勉強してきた人もいるけど、その後の研究で変わってきているんだ。 そもそも、稲作についての発見は静岡県の登呂(とろ)遺跡の存在が大きいんだ。 太平洋戦争中の昭和 18 年、軍需工場の建設時に、土の中から土器や農具などが偶然に見つかり、戦後になって本格的に調査した結果、多数の住居や高床倉庫、水田跡が発見され、弥生時代後期(約 2000 年前)の稲作を中心とした集落(登呂ムラ)の姿が明らかになったんだ。 この大発見で、戦後考古学の先駆けとなった遺跡であることが評価され、弥生時代の遺跡としては初めて、国の「特別史跡」に指定されたんだよ。 でも、その後、九州の福岡県や佐賀県にある縄文時代終わり頃の遺跡などから木製の農具やイネのモミ痕、プラントオパール(葉の細胞にできるガラス質のもの)、それに 小さな水田跡が発見されたんだ。 これらの発見により、弥生時代よりも早い時期に大陸から稲作が伝わっていたことがわかったんだ。 ただ、現代から見ると「縄文」とか「弥生」として区別しているけれど、当時の人々が「私は縄文人」と意識していることは無いから、ここまでは縄文時代でここからは弥生時代という線を引くのはなかなか難しいんだ。 (ほったん) そうだったんだ。今 の 研究結果では

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