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10月 22, 2023の投稿を表示しています

青空の下、稲刈り

  絶好の秋晴れの中、蓮池小学校の児童と稲刈りを実施しました。 6月に田植えを行った5年生の皆さんと一緒にいよいよ収穫です。 また、今回はインターンシップとして加古川南高校から4名が参加してくださいました。 品種は赤米2種(対馬・種子島)、壱岐黒米、そしてもち米のハリマモチの4種です。実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな・・ 児童はクラスごとに、3班に分かれて順次稲刈りをします。 最初に学芸員さんから説明がありました。道具は石包丁とのこぎり鎌の2種類を試しながら刈り取りを行います。 では、早速実践。 始めに古代体験として石包丁による刈り取り。 こちらは 刈るというよりも、稲のなっている上部分だけを折ってちぎるような感じなので「穂摘み(ほづみ)」と呼んでいます。 続いて、一列に並んで鎌による刈り取りです。 この鎌は、刃がのこぎり状になっているので、稲の根元に刃をあて、少し回転させながら切ると力もあまり必要ありません。でも、くれぐれもケガだけは注意して! 切った稲を3束ほどまとめ、切り口をできるだけ揃えて、後ろに控えている結束作業班に渡します。 こちらは、加古川南高校の方々です。結束作業の後は鎌での刈り取りと大活躍でした。    今回は天気も良く地面もほぼ乾いていたので、児童の刈り取り作業も早く進み結束作業は大忙しでした。 束ねた稲わらをボランティア団体のひょうご考古楽倶楽部の皆さんが稲木に天日干しし ていきます。 残りの1品種は職員とボランティアさんで刈り取りました。 田んぼの整理をして稲刈りは無事終了。   これらの稲は、乾燥させた後、 11 月に脱穀・籾摺りという作業を経てお米になります。 蓮池小の皆さんにとって、楽しい思い出となっていればうれしいです。

ほったんのなぜなぜ?教えてコーナー⑧ 秋の特別展見学

  (ほったん) 今日は秋の特別展を見に来たよ。 ポスターに「駅家発掘(うまやはっくつ)!」と書いてあるけど、“駅”はどう見ても“えき”と読むと思うんだよ。間違っているんじゃない?   (学芸員) 駅家(うまや)とは、7世紀の終わりに日本の朝廷が全国を支配し、情報や軍を移動させるために都市と地方を結ぶ道路を整備したんだけれど、その道路に一定間隔で馬を置いたり、 休憩する場所として設置された施設なんだよ。                              なるほど、 実際に地方を治めていく上で、より早く中央から地方へ行ったり、連絡したりする必要があったので道路整備がすすんだということか。 日本も国をまとめるために、いろいろな制度を作ったんだね。   この道路は交通はもちろん、通信手段としても重要で、約8 k m~16kmごとに「 駅(えき) 」をつくり、そこに乗り継ぎのための馬を5頭から20頭おいたんだ。駅には馬へんがつき、駅のことを「駅家」(うまや)と呼ぶのはこのためなんだ。ふつう私たちは駅というと、鉄道の駅を思い浮かべるけど、もともとはこのように「駅」は道沿いにあって、馬を備えた場所だったんだ。 そうか、当時の「駅」の主役は列車ではなく「馬」だったということなんだね。   そうだよ、この制度を駅制と呼んでいて、現在では、たすきリレーで長距離を走る「駅伝」に名前が残っているよ。 選手が馬、たすきが情報、交代するところが駅ということだね。   ふむふむ、これが播磨国の古代山陽道か~。 あれ、よく見ると 邑美 駅家 (おうみのうまや) だけ名前の前に(仮称)と書いてあるよ。 なんでかな ? 。   この駅家はJR魚住駅から1km北東に行った明石市の長坂寺(ちょうはんじ)遺跡だと考えられていて、柱や溝の跡、瓦などの遺物が発見されているよ。 ただ、駅家の名前が記録に残っていないので、仮に古い地名をとって邑美 (おうみ) としているんだよ。   そうか。  文書でしっかりと確認できないと、想像だけでは名前は付けられないもんだね。 でも、どうして1,300年も前の駅家がそこにあったってわかるの? では、全国ではじめて駅家を確認できた、 たつの市の小犬丸遺跡についてお話しするね。 ここには昔から古い瓦がたくさんあるこ

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