展覧会が始まって4週間あまり、19日(日)には1万人目の観覧者を迎えることができました。多数のご来場ありがとうございます。 さて、本日より、展覧会の見どころを担当学芸員が紹介するコーナーが始まります。どうかご期待ください。 風土記1,300年記念特別展 「播磨国風土記―神・人・山・海―」から その(1) 展覧会場に入ってすぐ右側の壁に並ぶ9枚の絵。これは播磨地域の高校生が『播磨国風土記』を初めて読み、その情景をイメージして描いてくれたものです。画題はすべて各郡冒頭に記載された郡名由来にまつわる伝承。欠落している明石郡と赤穂郡を除く9郡(賀古郡、飾磨郡、揖保郡、讃容郡、宍禾郡、神前郡、託賀郡、賀毛郡、美嚢郡)に所在する高等学校の生徒さんの力作です。 『播磨国風土記』の郡名由来伝承は、わずか数行にすぎないものが大半で、ダジャレのようなものや今では意味不明のものも多く、よくぞこれだけの絵を描いてくれたものだと感服します。 さて、9枚の絵を見ていると、あることに気が付かれることと思います。それは鹿を描いた絵が4枚もあることで、賀古郡、飾磨郡、讃容郡、宍禾郡に登場します。実は、鹿は『播磨国風土記』で最も多く登場する動物で、郡名由来伝承だけでなく、山の名前の由来や狩りの説話などにもしばしば登場します。 鹿の生血の上に種籾を蒔いて苗の成長を促した讃容郡の伝承のように、鹿は農耕儀礼とも結びつき、古代人にとってとても重要な動物だったと考えられます。そのため、弥生時代の土器に描かれたり、埴輪のモチーフとなったりしたのでしょう。 展覧会場の最後のケースには鹿狩りをする騎馬人物の小像などで飾られた古墳時代の須恵器が置かれています。一見、稚拙な感じのする造形ですが、よく見るとなかなかいい味が出ています。古墳の横穴式石室前に置かれていたもので、死者を送る儀礼に使われたものでしょう。 『播磨国風土記』と鹿にはとても深いつながりがあるのです。 県指定 装飾付須恵器(小野市勝手野6号墳)