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#自宅でも考古博 15「発掘こぼれ話その1ー初めての発掘」

50年余り前、初めて行った発掘のことは今でも忘れられない。

それ以来、ズッと考古学をやってきたのだから。

1967年、大学に入学した春、探検部に入ろうと思って部室を訪ねたが、プレジデントと呼ばれる部長が余りにも威張っているのに嫌気がして、余り深い知識もないままに、同じ未開や未文明の社会を扱う分野だと思って考古学研究会に入った。


 新入生歓迎で奈良の飛鳥へ行き、岩屋山古墳、益田岩船、石舞台古墳などをめぐって、最後の桜井茶臼山古墳に登ったときには月が出ていた。この時の踏査で初めて遺跡のおもしろさ、遺跡めぐりの楽しさを知った。

 そして、その年の夏休みに参加したのが、京都府乙訓郡向日町(現・向日市)の寺戸大塚古墳の発掘調査だ。


寺戸大塚古墳の後円部
(京都大学考古学研究室向日丘陵古墳群調査団 近藤喬一・都出比呂志 1971「〈調査報告〉京都向日丘陵の前期古墳群の調査」『史林』第54巻第6号 より転載)
 
 この年、文学部の考古学研究室(3回生以上)では、向日丘陵上の古墳の発掘を計画していて、特別に文学部の学生を中心に、研究会の学生の参加を前後2人ずつ認めるということだった。そのため文学部生だった私は優先的に参加が認められた。

 当時、研究会は文学部の学生が少なく、工学部、農学部、法学部、経済学部などの学生が多かった。1学年上にノーベル化学賞の吉野彰さんがいたのもそのためだ。
 研究室助手の近藤喬一さん(後に山口大学)が現場隊長、大学院後期課程の院生だった都出比呂志さん(後に大阪大学)が副隊長で、他は3・4回生と大学院生ばかり。

 阪急電車の西向日町駅近くに今も残る石塔寺で合宿した。夜はミーティングもなく、みんな思い思い好きなように過ごしていて、私からみれば大人の集団だった。
 新入生をいたわるためだろう。トランプにも興じてくれて、神経衰弱で勝たせてもらった。
 困ったのは、お寺が日連宗だったので、朝の6時から大きな太鼓の音が鳴り響いたことだ。しかし、それも慣れと発掘の疲れで聞こえなくなってしまった。
 もう一つ困ったのはニンニク入りのマムシ酒。ニンニクや焼酎になれていなかったので、臭くて、臭くて。つぎの日のトイレなどは口で息をせざるをえなかった。

 発掘現場は90メートル余りの前方後円墳で、後円部の埋葬施設(竪穴式石槨)の発掘だった。地表下すぐに方形基壇、礫敷き、円筒埴輪列、土師器群がでてきて、1回生は木の根切りと掃除がおもな役割。
 毎日毎日根切りと掃除。「ああ、嫌になった」とつぶやいた途端、後ろにいた近藤さんから「嫌になったら帰れ」と怒鳴られた。
 「近藤さんは新婚だから」と慰めてくれる先輩がいたが、近藤さんからは、その後も可愛がられ、よく怒られた。

 そして、埴輪列を残し、その内側の墓坑を掘りさげる段階になると、墓坑を掘った土がつまったバケツを引きあげ、捨てに行くのが役割。

 1回生はつらい。
 最後に、石槨の被覆粘土をおおう川原石を実測させてもらえたのが嬉しかった。
竪穴式石槨と埴輪列
(京都大学考古学研究室所蔵)

 都出さんが、いつか発掘チームが組めるようになるといいな、と言ってくれたのが励みになったが、ここでは発掘の楽しさと厳しさを知った。

 その後、天井石が取りあげられている最中に予定の日数が過ぎ、研究会の仲間が参加している和歌山県の弥生時代の集落遺跡である宇田森遺跡に移った。

 どうしてあの時、最後まで寺戸大塚に留まらなかったのだろう。今は残念な思いもするが、宇田森遺跡では遺構検出のためのジョレン(発掘道具)かき専門で頑張り、やはり学ぶことは多かった。遺構の実測の応援にきてくれた奈良文化財研究所の人たちから、当時としては難しい「遣り方(やりかた)測量」という高度な基準線の割付法を学んだ。

 その頃は遣り方測量ができるのは一種のステータスだった。教員になってからは、野外の考古学実習で遣り方測量を教えるのが授業のクライマックスだった。しかし、今の若い人はほとんど誰も知らない。より高度で使いやすい測量機器が普及したからだ。そうなると実習では、学生からボタンの押し方を教えてもらうこともしばしば。
 寺戸大塚や宇田森遺跡の経験は、遠い昔の思い出になってしまった。

(和田晴吾)

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