1月26日(木)、奈良県奈良市の富雄丸山古墳(円墳で全国最大の直径109m)の造り出しに築かれた埋葬施設から、盾形の青銅鏡とともに、237㎝にもなる全国最大で最古の蛇行剣(蛇のようにうねった刃をもつ剣)が出土したと発表されました。
蛇行剣とは、刃の部分が蛇のようにうねった剣のことで、古墳時代中期に盛行する特異な剣です。
全国では81点が確認されていて、そのうち兵庫県内では亀山古墳2点(加西市)、茶すり山古墳2点(朝来市)、火山13号墳1点(丹波市、当館所蔵)の合計5点が出土しています。素材の鉄を分析した例を見ると炭素含有量の少ない鋼を使用しているので、武器としての実用性はなく、儀礼に使用されたものであった可能性があります。
また、これまでの研究から、古い段階の蛇行剣は前方後円墳ではなく大型の円墳から出土することが多く、さらに同じ古墳でも中心となる埋葬施設からではなく、それ以外の埋葬施設から出土する例が多いことがわかっていて、古墳の主たる被葬者の副葬品ではない、とされていました。今回の発見でもサイズの差こそあれ円墳で造り出しの埋葬施設から出土しており、これまでの研究を裏付ける結果といえます。
この蛇行剣発見の報を聞いたとき、頭をよぎったのが『播磨国風土記』讃容(佐用)郡中川里の一文で、天智天皇の時代、河内国(大阪府)の人から30㎝ほどの剣を買い取ったところ、その一家が滅んでしまったという、恐ろしい呪いの剣のお話です。その後、剣は土の中から発見されたのですが、錆びもせずに鏡のように光り輝いていたといいます。発見した犬猪さんは剣を持ち帰り、鍛冶職人を呼んで刃を焼かせたところ、蛇のように「屈申」したそうです。
この「蛇のように」と表現しているのは蛇行剣をイメージしているためかもしれません。古墳時代中期に盛行した儀礼用の蛇行剣は、200年後にも霊力のある剣として恐れられたことを表しているのでしょうか。
奈良時代、この地域は鉄が産出されていたと『播磨国風土記』に記されているので、鍛冶職人も周りにはたくさんいたのでしょう。また、中川里には美作道の駅家「中川駅」が置かれていたようです。そして明日香村の大官大寺跡からは「讃用郡駅里鉄十連」と書かれた木簡が見つかっています。こうした鉄の産地、交通の要衝といった環境もこの説話が生み出された要員の一つだったのでしょう。
さて、この呪いの剣。その後は天智天皇に献上されますが、天武天皇の頃には再びこの地に送り返されてきたと書かれています。
今でもこの剣は佐用町のどこかに埋もれ、再びだれかに発見されるのを待っているのかもしれません、、、
(館長補佐 中村 弘)
<参考文献>
・古代歴史文化協議会編2022年「刀剣-武器から読み解く古代社会-」ハーベスト出版
<図の出典>
①兵庫県教育委員会2005年『火山古墳群・火山城跡・火山遺跡』兵庫県文化財調査報告283
②③加西市教育委員会他2005年『玉丘古墳群1』加西市埋蔵文化財調査報告55
④⑤兵庫県立考古博物館 2010 年『史跡 茶すり山古墳』兵庫県文化財調査報告383