講演会「兵庫の弥生土器」を開催しました。今年度の “兵庫考古学研究最前線2021” の締めくくりです。
講師は、(公財)兵庫県まちづくり技術センター埋蔵文化財調査部調査第2課の篠宮課長です。講演では弥生時代中期の東播磨地域の土器を中心に、土器の形の移り変わりや地域性などを詳しく解説されました。
最初に、"長い研究の第一歩”として、昭和 57 年~平成3年にかけて行われた玉津田中遺跡(神戸市西区)の発掘調査の話がありました。
「6年間関わったなかでの1番の成果は、弥生時代中期の集落に関するもので、墓・水田(生産域)・集落(居住域)の三拍子が揃っていたことです。沖積地にあるため、洪水に遭った遺構から大量の残りの良い土器が出土しており、土器の変遷や、播磨地域の様相を調べるのに非常に役立ちました」とのことでした。
【玉津田中遺跡出土の甕の使用痕跡を紹介】
(内部に米粒やコゲ、外側にススや吹きこぼれがみられる)
次にいろいろな土器の変遷表を見ながら、形の移り変わりや、文様の特徴を解説されました。文様は今でいう「デザイン」ではなく「マーク」で、地域を主張するものであったようです。
【東播磨地域の広口壺の変遷表】
播磨地域の広口壺は、頸部と体部の境いめ(くびれの部分)に複数の突帯(とったい=粘土紐を貼り付けてつくった凸部分)があるものが多いのですが、少し時代がくだって中期後葉になると、この凸部分はなくなり、粘土紐を貼り付けずに強くなでて凹線をつくるだけになるとのこと。
【東播磨地域の土器の、口縁部の文様】
東播磨地域では、東側にある摂津地域の影響が強く、体部の上半分に直線文と波状文を交互に櫛状の工具で描いています。
西播磨地域では、西側にある吉備地域の影響を受けて、貝殻の腹縁を押し付けた列点文をつけたものが多く見られます。
西播磨地域では、西側にある吉備地域の影響を受けて、貝殻の腹縁を押し付けた列点文をつけたものが多く見られます。
このように文様を見ることで、隣りあった地域から土器そのものが移動してきたり、あるいはデザインや技法の影響がうかがえるなど、他地域と交流があったことがわかります。
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最後に、「このように、出土数の多い土器を見ていくことで古代の生活が見えてきます。土器研究は考古学研究の全ての基準になります。個人的にはまだまだ研究途中ですので、これからも他地域との比較なども含めて研究を続けていきたい」と結ばれました。