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播磨国風土記ー神・人・山・海ー 開幕!

さあ! 扉をあけて


ここから始まる風土記の世界(東入口付近の”ときのギャラリー”)

風土記に記載されている内容は編纂が開始された和銅6(713)年以前の出来事など。
史料が少ない時代。だからこそ発掘された考古学的資料がモノを言うのです!

ずらりと並んだ県内各地の土器。ときの流れを感じ、風土記を読み解いてください。


4月19日開会式 テープカット
(左から石野博信 兵庫県立考古博物館長、高井芳朗 兵庫県教育長、田辺貴司 読売新聞姫路支局長)


学芸員によるボランティアのみなさんへの解説レクチャー

(熱心に聞き入るボランティアのみなさん)


高校生が描く播磨国風土記の世界

風土記を読み、郡名由来のイメージを絵画に!
                   
                   賀古郡 県立播磨南高等学校   畑 知沙
                   飾磨郡 姫路市立飾磨高等学校  野村真理・盛山そら・中村真理
                   揖保郡 県立太子高等学校     栗岡由美
                   讃容郡 県立佐用高等学校         平田秀樹
                   宍禾郡 県立山崎高等学校         秋武夏葵・上山佳奈
                   神前郡 県立香寺高等学校         門田梨沙
                   託賀郡 県立多可高等学校         渡辺ゆきな
                   美嚢郡 県立三木東高等学校      才尾菜々

以上のみなさんの絵画はロビーの各所に展示しています。
イメージ豊かな絵画を是非ご覧下さい!
 

県埋蔵文化財行政の大先輩 是川 長さんの講演

(4月20日(土)13:00から入場券配布 先着120名)


播磨国風土記 ふるさとの歴史が見えてきます・・・

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