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春季特別展開幕 -開会式の報告-

 
 令和3年度春季特別展「弥生時代って知ってる? -2,000年前のひょうご-」の開会式を4月16日に挙行しました。




 今回もコロナウイルス感染症対策で座席の間隔を広げ、30席で会場を設定しました。

 始めに和田館長の挨拶です。展覧会のタイトルが、知ってる? というかわいいネーミングになったいきさつや、「漢委奴国王」の金印がレプリカではありますが、一番上等で貴重なレプリカであるという裏話などで会場が笑いに包まれました。

 続いて主催者を代表して西上 三鶴 兵庫県教育長がご挨拶いたしました。
「1年半前に来たときは竪穴住居の老朽化が気になっていました。かなりその整備が進んだので、大中遺跡公園も含めて楽しんでもらいたい。また、県立相生産業高校の生徒さんに作っていただいた復元銅鐸もぜひ鳴らしてください。」というお話しでした。

 ご臨席いただいたご来賓を代表して、清水ひろ子 播磨町長からご挨拶をいただきました。来年が大中遺跡が発見されて60年、播磨町が町制施行60周年を迎えるということを紹介してくださいました。

 また、ご来賓として公益財団法人兵庫県まちづくり技術センターの吉村文明 理事長にご臨席いただきました。ありがとうございます。


 山本敏信 兵庫県議会議員、都倉達殊 高砂市長からお祝いのメッセージをいただきました。


 本展覧会の担当学芸員、松岡(右)、藤原(左)です。

 左から、和田館長、西上教育長、清水播磨町長、吉村兵庫県まちづくり技術センター理事長によるテープカットで開幕です。

 開会式後の内覧会です。担当学芸員が展示資料について詳しく解説しました。
 密にならないよう2班に分けて行いました。


 特別展の展示解説は、4月24日(土)、5月8日(土)、7月3日(土) に開催されます。
当日受付で、13:30~14:00に行いますので、ぜひお越しください。



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