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望塚銅鐸復元品贈呈式 -兵庫県立相生産業高等学校へ感謝状-

 令和3年1月20日、当館で県立相生産業高等学校機械科の生徒が授業で製作した望塚銅鐸復元品の贈呈式が挙行されました。

 指導された竹下先生、相生産業高等学校長、当館館長、製作した6名の生徒たち。
 2個の銅鐸が輝いています。

 

 柴田英俊校長先生のごあいさつでは、今回の銅鐸製作の経緯や苦労についてお話しいただきました。
 平成26年度から機械科の選択授業の一環として地元の企業や博物館と協力して鋳造品の製作に取り組んでおり、今年度は3年生6名が6月から銅鐸復元品の製作に取り組み、何度も試作を繰り返して苦労の末に完成に至ったそうです。

 目録を読み上げているところです。さぞ感慨もひとしおでしょうね。


 渾身の一作、謹んで受領します。もう一個の銅鐸は試作品で、土に埋めたりいろいろ実験に使ってくださいとのことです。


 当館の和田館長のあいさつです。「より精巧な復元品を作成していただきありがとうございます。2000年前の輝きを取り戻した銅鐸ですが、実際に2000年前の人にこの輝きがどのように映ったか、その驚きや崇高なものを見てどう感じたか…。銅鐸の使用法など不明な点はまだありますが、今後の研究に役立てさせていただきます。これからも物づくりの楽しさ、重要性を後輩に伝えていただきたい」と謝辞を述べました。


 銅鐸復元を指導された相生産業高等学校の竹下邦彦先生と、贈呈式の司会進行をする当館で復元のサポートを主に担当した松岡学芸員。
 望塚銅鐸を忠実に復元するため、当館が図面の提供や合金の成分比、厚みなど形状について助言を行いました。

 竹下先生からは、製作過程を5分ほどにまとめた映像で解説していただきました。
 銅鐸は青銅製の鋳造品で、製作に当たっては青銅の材料である銅、錫、鉛の配分比率の調整が難しく、加えて銅鐸の厚みが2.5㎜と非常に薄いことから割れたり欠けたりなどの失敗が続き、5回目でようやく完成したそうです。

 右が今回のモデルとなった望塚銅鐸です。望塚銅鐸は、弥生時代中期(約2000年前)の銅鐸で、大正3年(1914年)頃に加古川市八幡町で発見され、平成22年から考古博物館が所蔵しています。高さ40.2㎝、最大幅25.0㎝、重量3,270gあります。東播磨地域で出土した数少ない銅鐸です。
 左が今回の完成品です。金色の輝きが見事に復元されています。

 製作した6名の生徒たち。砂で鋳型を作成する作業で形が崩れて何度もやり直したこと、夏の暑い日に行った火入れ作業で流した大粒の汗、報われましたね。

復元された望塚銅鐸の音色をお聴きください♪(約6秒)


 翌1月21日から、メインホール展示のケースに受贈した銅鐸を展示しています。展示は2月28日まで。
 
 なお、4月から開催する春の特別展「弥生時代って知ってる?-2000年前のひょうご-」でも展示する予定です。

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