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「ひょうごの遺跡2020」その①

兵庫県内では、新型コロナウイルス感染症拡大防止の取組みが続けられています。
当館も拡大防止の観点から、3月4日より臨時休館させていただいております。


突然の休館となり、開催中だった企画展「ひょうごの遺跡2020」が、
予定より早く終了することになりました。
観覧を予定しておられた皆様には、申し訳ございません。

そこで、少しでも館内を歩いている気分になっていただければと、
展示の様子を何度かに分けてご紹介します。
中に入ってみましょう。



今回は、平成30年度に発掘調査報告書を刊行した遺跡9カ所についてご紹介します。

まず、弥生時代の遺跡から。
 淡路市の大円道向遺跡は、弥生時代前期末から中期初頭(約2400年前)の集落で、
瀬戸内海沿岸で使われた特徴を持つ土器が出土しました。
当時の淡路島で行われた交流の様子がわかる遺跡です。


津万遺跡群遺跡群(西脇市)は、播磨の北部にある集落遺跡。
弥生時代後期(約1900年前)の竪穴住居から、128個以上の土器が出土しました。
住居を土で埋めて廃棄するときに、一緒に捨てたものと考えられます。



古墳時代の遺跡は2カ所あります。いずれも但馬の古墳群です。
 豊岡市の尼ヶ宮古墳群(豊岡市)は、古墳時代の中期から
後期(約1500年前)にかけて、時代ごとの埋葬施設や副葬品の変化
について、知ることができます。

広瀬古墳群(養父市)は古墳時代後期の古墳群で、尾根の上に石を組んだ
「石室」が数多く築かれていました。
副葬品では、小さな壺を付けて装飾した「子持壺」の破片が注目されます。


 飛鳥時代(約1300年前)の遺跡は、稲塚3号窯跡(丹波市)で、
須恵器の杯や蓋杯など、生活用具を焼いていた窯跡です。
焼かれた土器は、近くの役所跡などで使われた可能性があります。


 奈良時代(約1300年前)の豆腐町遺跡(姫路市)は、
現在のJR姫路駅一帯にひろがる遺跡です。
井戸からは、役所で使われたものと似た特徴の土器や
漆が付着した土器が見つかり、
播磨国府に関係した工房と考えられています。


 江戸時代、播磨の北東部で盛んに銅の採掘がおこなわれました。
江戸時代終わり(約300年前)に操業した宮前鉱山跡(多可郡多可町)で、
鉱石から銅を取り出す工房の跡を調査しました。


 JR姫路駅の北東部にある神屋町遺跡(姫路市)からは、
鉄道に関する資料が数多く見つかりました。
八幡製鉄所で製造されたレールのほか、お茶を入れて販売された汽車土瓶や
牛乳・お茶を販売していたガラス瓶などが出土しました。


 展示された遺跡の詳細は、会場で配布した解説書をご覧ください。
当館ホームページでダウンロードできます。

*   *   *

博物館は臨時休館とさせていただいておりますが、
館のスタッフは連日、業務にあたっています。
再び皆様とお目にかかるまで、このブログやホームページで、
考古博物館の活動をご紹介したいと思います。よろしくお願いいたします。

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