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兵庫考古学研究最前線2019 「酒づくり今むかし-赤米酒を造ってみて-」

 
稲穂も実り、兵庫県では秋らしい空の澄みきった日がつづいています。
9月14日(土)には、連続講演会・兵庫考古学研究最前線の第2回目
「酒づくり今むかし-赤米酒を造ってみて-」を開催しました。
 
講師は、当博物館の髙瀨一嘉 事業部長。
考古博での田んぼづくりや、収穫した米から酒を造る取り組みに
中心で関わってきました。この日は米とお酒にまつわる講義でした。
 
酒という字は、さんずいへんに「酉」と書き、酉(とり)が十二支の10番目にあたること、
また元々は酉が酒壺を表す象形文字から来ていることから、
「10月はお酒の月」だと言われています。
それには少し早いですが、収穫の時期に合わせた題材とあって、
今回も大勢の方がご参加くださいました。ありがとうございます。

 
はじめに「酒」についての定義や、酒造りの仕組みについて紹介がありました。
清酒(日本酒)の話を中心に、酒の原料や造りかたから様々なお酒の種類があることを説明。
世界の伝統的な酒と酒造りに関する歴史にもふれました。
 
お酒を造るうえで最も重要なのが原料を発酵させることだそうです。
それに関連して、博物館で赤米酒を造った時のエピソードをご紹介。
明石の蔵元へ赤米酒造りの相談にいった際、
建物に入る前に「納豆を食べてないか?」と確認を受けたそうです。
健康に良い納豆ですが、納豆菌が麹に悪い影響をおよぼすため、
酒造りの場では禁止されている、とのことでした。

次に、考古学的な視点から「人類がいつ頃からアルコールを摂取していたのか」の話題にうつりました。 
酒の起源は、サルが果実や木の実を蓄えておいたものが自然発酵して酒になり、
それを漁師が発見して飲んだとされる「猿酒」の伝説が有名ですが、
 水で薄まったハチミツが発酵した酒や、ブドウが酒になったワインの祖先が
紀元前4,000年には飲まれていたとのこと。 

縄文時代の遺跡からはブドウやニワトコなど多数の果実の種が見つかっており、
県内の佃遺跡(淡路市)や、青森県の三内丸山遺跡からも
出土があり、縄文時代に酒が飲まれていた可能性があるとのことでした。

土器にもその様子が現れています。写真中央の注口土器(茨城県・椎塚貝塚出土)は、
今春の特別展「縄文土器とその世界」で展示していたため、ご覧になった方も多いかと思いますが、
酒を注ぐものだったかもしれません。

もっとも、世界的に見ても通常、狩猟民族は酒造りをしないと考えられるため、日本では
弥生時代の米造りが本格化するとともに酒も本格的に造られるようになったのではないか、とのことでした。
弥生時代終りの魏志倭人伝からは、古来より人が死ぬと通夜ぶるまいのように酒を飲んだとの記述が見られます。
さらに古墳時代にもおまつりや宴で酒を飲んだことが知られており、
発掘調査された三木市の大池7号墳(6世紀)では、
遺体が埋葬された主体部の近くに甕がみられ、
有力者のお墓を埋める前に飲食儀礼を行ったと考えられるとのことです。
奈良時代以降は酒に関する記録も増え、
播磨国風土記では、神社に供えた米が濡れてカビがはえたものから
酒を造ったエピソードがあり、また大隅国風土記では
原料を噛んで吐き出して造った「口噛み酒」の記述があり、
再現にとりくんだ科学者の実験についても詳しく解説しました。
さらに時代は下って、江戸時代の図鑑にあたる「日本山海名所図会」などから読みとれる
江戸時代の酒造りについても、兵庫県にまつわる興味深い話がありました。
「江戸積酒屋番付」を見ると、江戸では上方で造られた酒の人気が高かったことがわかります。
その上位は、大半が伊丹の酒で占められ、その後に灘の酒がのまれるようになったとのことです。

*    *    *


今回はお酒にまつわる歴史や米から酒に変化するメカニズムなど、
お話しが盛りだくさんで、考古博でつくった酒の様子については次の機会となりました。

次の機会をまちきれない方々は終了後に講師と延長戦。
興味つきないやりとりが続けられました。
次の機会に、乞うご期待です。


⇒今年度の「兵庫考古学研究最前線」の予定は、
   こちらのチラシをご覧ください(PDF:約0.4M)


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