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これ何?珉平焼「一万年のタイムカプセル」防災の日に思う

淡路島で発掘された「珉平焼窯跡」(みんぺいやきかまあと)から出土したタイル
このタイルを考古学的に分類・編年した
名付けて
「タイル考古学」

このタイルを明治時代以降に生産したのは珉平焼を引き継いだ
「淡陶社」(だんとうしゃ)

この淡陶社で製作された「タイル」を一万年保存するため大切に保存されている
その調査に協力した

この計画のきっかけは大正12年9月1日におこった
「関東大震x災」

当時の東京市長であった淡路島出身の政治家
永田秀次郎 

彼は震災により無くなった方々(殃死者 おうししゃ)が10万人を超え、やむなく荼毘に付した経験を悔い、再度東京市長に就いたおり、死者の氏名を調べた名簿を「少なくとも1万年以上保存する」計画をおもいたち、学識者等の検討を経て2種類の方法で保存することとした。
大正14年から昭和5年にかけてのことである。

永田は氏名を調査した結果、約54,700人の氏名を明らかにした。
氏名を保存する方法の一つは大蔵省造幣局の協力で「紙」に日本語・英語・エスペラント語の3言語で記し、ガラス瓶に入れ窒素で封入する方法。

そしてもう一つは当時の最新技術により製作された「タイル」の両面に呉須(紺色の釉薬)で氏名を記し、焼き付けたのである。

今でこそ土器の発生は約1万3千年や1万5千年と言われているが、大正時代末や昭和初期においては、せいぜいエジプト文明が認識されていた程度。

その頃においては、1万年以上も保存しようという想像を絶する壮大な計画であった。

これらは高野山の金剛峰寺が管理・保管する奥の院に「関東震災霊牌堂」として昭和5年に永田秀次郎が私費を投じて、京都帝国大学建築学科教授 武田五一に設計を依頼、清水組が建築を請け負った。

いまも堂内の石櫃に保管されていると考えられるが、地下室に保管されている殃死者の氏名が記されたタイルが集積されていることが東京藝術大学非常勤講師の坂口英伸氏により存在が再確認され、調査に協力した。

霊牌堂地下で確認された「関東震災殃死者名簿タイル」
高さ1.5m程度の中での「実測作業」
発掘作業の遺物出土状況を図化する作業と同様である

奥の院 一の橋を渡り、すぐに関東震災霊牌堂がある

昭和5年に竣工した「霊牌堂」

慰霊塔


タイルの水洗作業

関係者で製法などの検討



淡路島出身の永田秀次郎は地元の淡陶社に製作を依頼し、
約400枚のタイルを2セット作成されたらしい。

膨大なタイル資料の検討がつづく

タイルなど
我が国の近代化や歴史を示す
貴重な資料として注目されつつある。



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