スキップしてメイン コンテンツに移動

ほったんのなぜなぜコーナー 「秋季特別展:うつりゆく甲と冑」

 

 

(ほったん)

やっぱり、甲冑(かっちゅう)はかっこいいね。

今回の特別展も子どもから大人までたくさんの人が会場に来てくれていて、ボクもうれしいよ!



 (学芸員)

そうだね。歴史ブームもあって、刀をはじめ甲(よろい)や冑(かぶと)などの武器、武具はとても人気が高いね。


 

普通、甲冑というとテレビ・映画などで見かける、このような戦国時代や江戸時代のものを思い浮かべるけれど、今回の特別展のタイトルには「弥生から江戸へ」となっているので、もっと古い弥生時代や古墳時代のものも展示されているんだね。



 

一つの時代だけではなくて、時代の流れに沿って展示することで、それぞれの時代の甲冑の特徴が分かるし、時代を超えても変わらないところや引き継がれているところが見えてくるんだ。


 

でも、疑問なんだけど、「弥生時代に戦争(争い)」なんかあったのかなぁ。

弥生時代というと、みんなで仲良く田植えをしているようなイメージがあって、とても平和で、のんびりした生活をおくっていたように思うんだけど・・・

むしろ、縄文時代の方が狩猟中心の生活だったから、人々が争っていたような感じがするなぁ。


 

縄文時代の人は毎日狩猟に明け暮れていて、その日その日の1日の食べ物を手に入れることに精一杯で、蓄(たくわえ)えることもできず、とても他の人と争っている暇も理由も無かったんだよ。

それが、弥生時代になると稲作によって食糧も安定して大量に手に入れることができた。

でも、そのためにお米をたくさん持っている人と持っていない人の格差が生まれてきたり、お米がたくさん採れる土地がほしいという欲がでてきたりといったところから、争いが始まったんだね。

平坦で日当たりも良くて水も豊富にあるような土地は、たいてい他の人が既に田んぼとして整備していただろうから、「その土地がほしい」とか「蓄えられていたお米を奪いたい」といった気持ちが争いにつながっていったんだ。

 

 

 

なるほどそういうことか。

でも争いといっても弥生時代なら、武器をつくろうにも材料がなくて困ったんじゃないかな。

 

人を傷つけることを目的として作られた武器が確認できるようになる弥生時代の中期では、石器や青銅器から武器を作り、木や革、草の蔓(つる)などを甲としたんだ。

木製の甲には、1本の大木をくり抜いて作ったものや板材を紐で結び留めて作るなどいろいろな工夫がされていたんだ。

それから、うずまきやノコギリの歯のような文様(紋様)が施されているものもあって、この時代から既にただ戦うだけではなく儀式のような時にも武器・武具が使われていたと考えられているんだ。

                                 木楯 南方遺跡(岡山県岡山市)

 

へー 武器といっても最初から戦い、実戦のためだけのものではなかったんだね。

やっぱり人間は動物と違って単なる実用性だけじゃなく、絵画や彫刻などに見られる芸術性みたいなものも大事にしてきたんだね。

 

芸術性って難しい言葉をよく知っていたね、この芸術性は弥生時代から江戸時代まで全ての時代において、観察する上での重要なポイントにもなっているよ。

もう少し時代が進むと材料も木・石・青銅器から鉄が普及していくし、装飾ももっと華やかになっていくよ。

    左側:鉄剣、鉄やじり(丹波篠山市) 右側:石やじり(三田市)

そうかやっぱり武器と言えば鉄製って感じがするしね。

そういえば「青銅器」の武器はあまり聞いたたことがないけれどなぜなんだろう?

そもそも青銅器ってどんなものなの。

 

青銅器は銅に10%前後の錫(すず)を混ぜた合金のことで、10円玉や銅像に使われているよ。青とあるけれど錆びる前の色はブロンズ色(赤銅・黄金色)なんだ。

世界的に見れば武器は石から青銅器、そして鉄と変化してきたんだけれど、日本では青銅器と鉄がほぼ同じ時期に伝わってきたので、武器として発見された例は少ないんだ。

日本での青銅器は何といっても銅鐸だけど、銅剣や銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)といった武器も大型化して祭祀(おまつり)用に変化しているね。

 

他の国と違って、武器がおまつり用に変化したというのは、平和を大切にする日本らしくていいね。

 

全くそうだね。

でも武器はその時代の最先端の物と技術で作られるので、刀や槍などの攻める道具が発達するとそれに対抗するために守る道具の甲や冑、盾も発達するので、いつまでたっても武器・武具の開発に終わりはないんだ。

この特別展ではそのような実用品としてだけでなく、装飾品としての性格を併せ持つという、異なった視点からも観察してほしいな。


 

わかった。なかなか難しい問題だなぁ。

とりあえずボクは「甲冑を着てみよう」コーナーでいろいろなポーズを撮ってから、考えることにするよ。


こらこら! 今日(平日)は着ることはできないよ。


「甲冑を着てみよう!」 体験料無料・要観覧券 
 当日予約 先着10組まで 受付 10:00~11:30  13:00~15:30(体験時間30分)
 ◎古墳・江戸時代編 毎週日曜日・祝日(振替休日も含む) 身長150cm以上
 ◎戦国時代編    10月12日(土) 特殊な紙で作られた実物そっくりの甲冑です。


  


このブログの人気の投稿

あなたは縄文人? 弥生人?

人の顔形はさまざま! 顔の輪郭、髪の毛、眉の形、目・まぶた・鼻・口の形は各人ちがいますが、 これらのパーツも縄文人に多い形、弥生人に多い形があります さて、あなたは 縄文人? 弥生人? まずは「自分の顔をつくってみよう」 縄文顔:四角い顔、太い眉、どんぐりまなこ、二重のまぶた、広がった鼻、分厚い唇、毛深い 弥生顔:面長顔、細い眉、切れ長の目、一重のまぶた、小さな鼻、薄い唇、ひげが薄い まず自分の顔をつくってみましょう これらのパーツをつかって・・・ 自分の顔をつくってみましょう そして、左のページを持ち上げ、右の顔に被せるように折りたたみます そして開いてみると 左に顔が移りましたが、 緑 と 橙色 のパーツに 緑は縄文人 橙は弥生人 各パーツが混じっています 現代人は 縄文人的な要素 と 弥生人的要素 が混じっているのです。 中国大陸や朝鮮半島などから各時代に渡来し、混血し、今の日本人になったと考えられます 「自分の顔をつくってみよう」 は 考古博テーマ展示室「人」のコーナーにあります 是非自分の顔をつくって、試してみてください!

明石駅・西明石駅のむかし

特別展「鉄道がきた!ー舟運・海運・馬車道・鉄道ー」 写真展 協力:西日本旅客鉄道株式会社神戸支社 明石駅・西明石駅のむかしの写真があります 明石駅・西明石駅のむかし 昭和9年の明石駅 昭和30年代前半の明石駅 昭和39年の明石駅 昭和47年の西明石駅(新幹線) 西明石駅の在来線と新幹線(昭和47年) 大阪ー神戸間開通140年記念写真展 是非ご覧ください 【お知らせ】 11月1日(土)10:00~16:00 兵庫県立考古博物館とその周辺を会場に 全国古代体験フェスティバル 2014を開催 雨天決行! ---------------------------------------------------------------------- 大阪ー神戸間開業140周年記念写真展 協力:西日本旅客鉄道株式会社神戸支社 11月30日(日)まで 1階エントランスホール ---------------------------------------------------------------------- 次回の特別展講演会 11月8日(土)13:30~15:00 「山陰山陽連絡鉄道敷設計画と播磨・境ルートの検証」 小西 伸彦 (吉備国際大学外国語学部准教授) ---------------------------------------------------------------------- 11月15・16日(土・日) 15日:12:00~15:30 16日:10:00~15:30    ミニSLやミニ特急列車に乗ろう!(ミニ鉄道走行会)    協力:OSライブスティームクラブ 兵庫県立考古博物館 体験広場にて    ※別途観覧券要・開始30分前から整理券配布・お一人様2回まで    ※小雨決行(天候により中止になる場合があります)。 駅そば・駅弁販売     ~駅弁の掛け紙は復刻デザイン!~    姫路名物駅そば、駅弁...

ほったん 懲りずに銅鐸見学

    (ほったん) この前は、銅鐸の下敷きになってえらい目にあったよ。全身 絆創膏だらけだ。 やっぱり学芸員さんの注意はよく聞かないといけないな。 でも、こんなことぐらいで、落ち込むほったんじゃないからね。 今日も特別展で面白そうなものはないか見てみよ~っと。 銅鐸は青銅器という合金でできているということだったけど、作るためには 溶かした金属を入れる型、「 鋳型(いがた)」というものが必要なんだね。 鋳型は土で作るんだけれど、初めのころは石でも作っていたんだね。 これがその石製の鋳型の模型だって。          復元模型(茨木市立文化財資料館 所蔵) (学芸員) やぁ ほったん懲りずにまた見学に来てくれたんだね。 そりゃあ 何といってもボクは将来の館長候補だからね。 この復元模型は、彫り込んだ鋳型に高温で溶かした金属を流し込んでいるところを再現しているんだ。 大阪府茨木市の東奈良遺跡では日本で唯一、完全な形を保った銅鐸の鋳型が見つかっているよ。  東奈良遺跡出土銅鐸鋳型及び鋳造関連遺物(茨木市立文化財資料館 所蔵) へー。石を彫るなんてとても大変そうだね。そのうえ細かい文様まで入れるなんて、ほんとに出来たのかな? こっちの鋳型を見てごらん。これは赤穂市で見つかった石製鋳型で、銅鐸の上側の鈕(ちゅう)といわれる部分だよ。       上高野(かみこうの)銅鐸鋳型(赤穂市立歴史博物館 所蔵) 上の部分だけでこのサイズということは、全体は相当大きかったんだろうね。なるほど、丸い形の凹みもはっきりわかるよ。     高さは80cmくらいで石の鋳型としては最大規模なんだよ。これは大正時代に千種川の川原で発見されたんだ。でも発見当時は“銅鐸の鋳型”とは思わなくて、あるものに使われていたんだけれど、何かわかるかい? こんな大きな石を持ち運ぶだけでも大変だから、使いようなんて無いんじゃないの? その重さがヒントになるんだけれど、実は「漬物石」として使われていたんだって。 え~っ。こんなに貴重なものを・・・  ビックリ! でもその後、さっき言っていた丸い形の文様がお地蔵様の光背(後光)のように見えたので、お堂を建てて、そこにおまつりしていたんだ。 それならよかった。漬...

過去の記事一覧

もっと見る